2014年 03月 10日
利休に何をたずねたいのか |
今日は木蓮のつぼみが開き始めました。そして、食卓に座ると見える外の位置に、枝垂れ桜を植えました。咲くのが楽しみです。
それでなんとなく、“ですます調”にしました。
(ネタバレ注意)
『利休にたずねよ』は意味深な映画でした。作者の山本健一は、利休に何をたずねよと呼びかけているのか意外とわかりにくいので、さっそく本も買って読みました。
宮部みゆきが後書きで、「一人ひとりの読者によって、こちらの〈解〉は異なるかもしれません」と言っているように、各自それぞれの受け止め方は違うのかもしれません。
その辺自分はどうなのだろうと、このところ思い巡らしています。
利休が切腹させられた理由はハッキリしてなくて、いくつか推測されています。
Wikipediaより―死の原因
時代考証をしっかりした上で、どのような逸話を想定すればその不可解な死の理由は解き明されるのか、それがこの作品が追及したテーマなのでしょう。そして本当にそうなのかどうかは「利休にたずねよ」ということになるのではないでしょうか。
秀吉ほどのサクセスストーリーを持った成り上がり者は、日本の歴史上存在しない。百姓から天下人になり、更には朝鮮にまで出兵しようとする拡張主義者で、権力を誇示した豪華絢爛たる安土桃山文化は上昇志向そのものでした。
かたや利休は風流を解する超一流の文化人としてもてはやされたようです。その茶の道が(なんて私よく知りませんが)「わび茶」であり、拡張・上昇志向とは逆に3畳2畳の狭い茶室にこもり、華美を廃し竹筒の一輪の花を愛でる、質素な美として描かれている、らしい。
秀吉と利休はそれぞれ別な分野で頂点を極めているようです。そしてお互いに無いものを補い合い、重宝し合うバランス感覚みたいなものがあったことは想像できます。
そのバランスが崩れ秀吉が切腹を命じたところから、この『利休にたずねよ』は始まっています。
秀吉に詫びて額づけば切腹など逃れられたかもしれないのに、利休がどうしても引けなかった問題とは何か。そこで著者の山本健一は一つの逸話を立てます。
過去に遡り、若い頃利休は高句麗から浚われてきた宮廷の美しい女に出会う。身売りされる直前夜逃げして救おうとするが、海辺の漁師の小屋にたどり着き追っ手に包囲される、という絶体絶命の設定です。
これから生きて恥をさらすよりは死んだ方が良い、今ここに居ることだけが幸せみたいなことを、利休は漢詩の交換で女の真意を知る。
「槿花一日」白居易の詩。その凄惨なまでに美しい女の潔さに、利休は頭を下げる。
女は毒の入ったお茶を飲み死ぬ。しかし男は飲み切れず生き残ってしまう。。
ここからは私見です。
この話がもし事実であるとしたら、利休の“わび茶”とは侘しく寂しいところに美がある、なんてことでは意味を言いつくしたことにはならないでしょう。
美しいまま留まるには死を選ぶしかなかった。その幇助の為に茶に毒を入れたのが利休の茶の原点ということになる。後にその茶の道は、永遠の闇の中から揺らぐ美に額づき供養するものとしてあったでしょう。
そして自分だけが生き残ったことを詫び続けるのが、利休の“わび茶”ということになります。
だから茶室とは海辺の苫屋のように入り口が小さく、逃げ場のない狭い空間でなければならなかった。飾るのは一輪の切花でなければならなかった、というわけです。
まあ何ていうか、あくまでも創作ですけど。この‟末期の茶” は永遠に美を留める行為としてありました。このような自分史があったとしたら、利休切腹という歴史上の謎は、自分の中に留まった美の成就として辻褄が合うように思われます。
この作品では、権力に抗して高句麗の女を救おうとした利休が、朝鮮出兵時代の秀吉の拡張主義・上昇志向に最後には額ずくことができなかった、ということと相対します。
これ以上に利休の死を説明できるような逸話を、私は想像することができません。
実際この逸話に匹敵するような何かがあったのではないか、私がたずねたいのはそのことでした。
時を経て、大阪都構想や慰安婦発言問題で暴走する橋下氏の、その秀吉張りの拡散上昇志向を止めた堺市長選がありました。
反橋下統一戦線には、中世自由都市堺の利休などの権力に額ずかない精神が息づいていたように思われるのですが、飛躍しすぎでしょうか。
先月2/13日山本健一氏はガンで逝去されました。
謹んでご冥福を祈ります。
PS:
この物語、日本の軍歌‟同期の桜”♪~咲いた花なら散るのは覚悟~♪なんて歌詞と通じるところもあるなあ、なんて迂闊に呟いていたら、P子さんが反論。
「男と女では違う。利休の朝鮮女性は明日から性奴隷にされるということで、特攻に行くのとでは全~然違う!」とお叱りを受けました。成る程、慰安婦問題とも重なりますね。
それから、桜花が日本の国花ならば、一日で終わる槿(ムクゲ)の花は韓国の国花だそうです。さすがお花のお師匠さんでした。
*白居易漢詩:槿花一日自為栄(槿花は一日なるも自ら栄となす)。
それでなんとなく、“ですます調”にしました。
(ネタバレ注意)
『利休にたずねよ』は意味深な映画でした。作者の山本健一は、利休に何をたずねよと呼びかけているのか意外とわかりにくいので、さっそく本も買って読みました。
宮部みゆきが後書きで、「一人ひとりの読者によって、こちらの〈解〉は異なるかもしれません」と言っているように、各自それぞれの受け止め方は違うのかもしれません。
その辺自分はどうなのだろうと、このところ思い巡らしています。
利休が切腹させられた理由はハッキリしてなくて、いくつか推測されています。
Wikipediaより―死の原因
時代考証をしっかりした上で、どのような逸話を想定すればその不可解な死の理由は解き明されるのか、それがこの作品が追及したテーマなのでしょう。そして本当にそうなのかどうかは「利休にたずねよ」ということになるのではないでしょうか。
秀吉ほどのサクセスストーリーを持った成り上がり者は、日本の歴史上存在しない。百姓から天下人になり、更には朝鮮にまで出兵しようとする拡張主義者で、権力を誇示した豪華絢爛たる安土桃山文化は上昇志向そのものでした。
かたや利休は風流を解する超一流の文化人としてもてはやされたようです。その茶の道が(なんて私よく知りませんが)「わび茶」であり、拡張・上昇志向とは逆に3畳2畳の狭い茶室にこもり、華美を廃し竹筒の一輪の花を愛でる、質素な美として描かれている、らしい。
秀吉と利休はそれぞれ別な分野で頂点を極めているようです。そしてお互いに無いものを補い合い、重宝し合うバランス感覚みたいなものがあったことは想像できます。
そのバランスが崩れ秀吉が切腹を命じたところから、この『利休にたずねよ』は始まっています。
秀吉に詫びて額づけば切腹など逃れられたかもしれないのに、利休がどうしても引けなかった問題とは何か。そこで著者の山本健一は一つの逸話を立てます。
過去に遡り、若い頃利休は高句麗から浚われてきた宮廷の美しい女に出会う。身売りされる直前夜逃げして救おうとするが、海辺の漁師の小屋にたどり着き追っ手に包囲される、という絶体絶命の設定です。
これから生きて恥をさらすよりは死んだ方が良い、今ここに居ることだけが幸せみたいなことを、利休は漢詩の交換で女の真意を知る。
「槿花一日」白居易の詩。その凄惨なまでに美しい女の潔さに、利休は頭を下げる。
女は毒の入ったお茶を飲み死ぬ。しかし男は飲み切れず生き残ってしまう。。
ここからは私見です。
この話がもし事実であるとしたら、利休の“わび茶”とは侘しく寂しいところに美がある、なんてことでは意味を言いつくしたことにはならないでしょう。
美しいまま留まるには死を選ぶしかなかった。その幇助の為に茶に毒を入れたのが利休の茶の原点ということになる。後にその茶の道は、永遠の闇の中から揺らぐ美に額づき供養するものとしてあったでしょう。
そして自分だけが生き残ったことを詫び続けるのが、利休の“わび茶”ということになります。
だから茶室とは海辺の苫屋のように入り口が小さく、逃げ場のない狭い空間でなければならなかった。飾るのは一輪の切花でなければならなかった、というわけです。
まあ何ていうか、あくまでも創作ですけど。この‟末期の茶” は永遠に美を留める行為としてありました。このような自分史があったとしたら、利休切腹という歴史上の謎は、自分の中に留まった美の成就として辻褄が合うように思われます。
この作品では、権力に抗して高句麗の女を救おうとした利休が、朝鮮出兵時代の秀吉の拡張主義・上昇志向に最後には額ずくことができなかった、ということと相対します。
これ以上に利休の死を説明できるような逸話を、私は想像することができません。
実際この逸話に匹敵するような何かがあったのではないか、私がたずねたいのはそのことでした。
時を経て、大阪都構想や慰安婦発言問題で暴走する橋下氏の、その秀吉張りの拡散上昇志向を止めた堺市長選がありました。
反橋下統一戦線には、中世自由都市堺の利休などの権力に額ずかない精神が息づいていたように思われるのですが、飛躍しすぎでしょうか。
先月2/13日山本健一氏はガンで逝去されました。
謹んでご冥福を祈ります。
この物語、日本の軍歌‟同期の桜”♪~咲いた花なら散るのは覚悟~♪なんて歌詞と通じるところもあるなあ、なんて迂闊に呟いていたら、P子さんが反論。
「男と女では違う。利休の朝鮮女性は明日から性奴隷にされるということで、特攻に行くのとでは全~然違う!」とお叱りを受けました。成る程、慰安婦問題とも重なりますね。
それから、桜花が日本の国花ならば、一日で終わる槿(ムクゲ)の花は韓国の国花だそうです。さすがお花のお師匠さんでした。
*白居易漢詩:槿花一日自為栄(槿花は一日なるも自ら栄となす)。
by turnipman
| 2014-03-10 00:32
| 映画・本 etc