2012年 12月 30日
父の足跡 |
今日からやっと正月休みです。
先日故郷の実家から便りが届きました。
寒波到来らしく、すっかり雪に包まれているようです。
入院している父の様子など近況を知らせてくれました。
父はもう98歳、寝たきりの状態です。
夏の旅行の最後に、父の居る病院へお見舞いに行きました。
「誰か分かるか?」と尋ねても分からないようでした。
何度も尋ねるとニコッと頷いていました。
(本当に分かっているのかどうかは知りません。)
別れ際に「また来るからね」と言ったら、しばらくして
「待ってま~す」と大きな声で応えてくれて嬉しかった。
会津に帰ると実家の皆がいつも歓迎してくれます。
有難いことです。
母に次いで父の介護でも大変なことと察します。
こちらは遠方で何もできませんが厚くお礼申しあげます。
さて夏の旅行から帰ると、父の残した子供達宛の手記を読み返しました。
98歳ということは、生まれたのは1914年、第一次世界大戦が始まった年ですね。
日清日露戦争を経て、満州事変(1931年)から太平洋戦争が終わる(1945年)までの15年戦争というのは、17歳から家庭を持った31歳までです。
青春時代の多感な時期のほとんどを戦争の中で過ごしたことになります。
そして何故戦後母方の会津に住むようになったのかが書かれています。
若い頃はクリスチャンになり、ルソーにも魅かれていたようです。
戦争は口に出せなかったけど嫌でしょうがなかったでしょう。
焼け野原の東京を逃れ、会津の自然の中で暮らそうとしたようです。
― 終戦時われは自由人開拓せんと ソローに真似て東京を立ちたり ―
(2001年の年賀状の句です。)
父の足跡を辿ってみました
1914年:生まれたのはあの『太陽のない街』の小石川区久堅町です。
1921年:小学1年のみ祖父の実家福島市の近く信夫郡の村で過ごす。
その後両親離婚し祖母宅の小石川に戻る。
1923年:父親が杉並の高円寺に新築し引っ越す。関東大震災。
1927年:台東区本所へ引っ越す。
父親の所が嫌になり家出、再び小石川の祖母宅へ。
1931年:満州事変。
1937年:結婚。日中戦争開始。
1938年:召集令状が来る。以後5年余の軍隊生活を送る。
1941年:太平洋戦争開始。
1945年:終戦。疎開していた母方の会津の実家で開墾生活始める。
1948年:教諭に採用される。
1973年:退職し今日に至る。
夏の旅行記で調べていたら、あの本所・深川のプレモダンな下町に父が住んでいたことに気付きました。そして1912年父の生まれる2年前に、啄木が小石川区久堅町で亡くなっていたことを知りました。
私は1910年大逆事件と韓国併合を戦前の歴史の転換点と見てきましたが、何の因果か身近なところで話しが繋がるようです。
来年は郡山市のH君の弁明もあるし、できたら“近代”の100年ぐらい前を彷徨ってみようかなと思います。
実家の裏山近辺から見た飯豊連峰(ハガキより転載)
先日故郷の実家から便りが届きました。
寒波到来らしく、すっかり雪に包まれているようです。
入院している父の様子など近況を知らせてくれました。
父はもう98歳、寝たきりの状態です。
夏の旅行の最後に、父の居る病院へお見舞いに行きました。
「誰か分かるか?」と尋ねても分からないようでした。
何度も尋ねるとニコッと頷いていました。
(本当に分かっているのかどうかは知りません。)
別れ際に「また来るからね」と言ったら、しばらくして
「待ってま~す」と大きな声で応えてくれて嬉しかった。
会津に帰ると実家の皆がいつも歓迎してくれます。
有難いことです。
母に次いで父の介護でも大変なことと察します。
こちらは遠方で何もできませんが厚くお礼申しあげます。
さて夏の旅行から帰ると、父の残した子供達宛の手記を読み返しました。
98歳ということは、生まれたのは1914年、第一次世界大戦が始まった年ですね。
日清日露戦争を経て、満州事変(1931年)から太平洋戦争が終わる(1945年)までの15年戦争というのは、17歳から家庭を持った31歳までです。
青春時代の多感な時期のほとんどを戦争の中で過ごしたことになります。
そして何故戦後母方の会津に住むようになったのかが書かれています。
若い頃はクリスチャンになり、ルソーにも魅かれていたようです。
戦争は口に出せなかったけど嫌でしょうがなかったでしょう。
焼け野原の東京を逃れ、会津の自然の中で暮らそうとしたようです。
― 終戦時われは自由人開拓せんと ソローに真似て東京を立ちたり ―
(2001年の年賀状の句です。)
父の足跡を辿ってみました
1914年:生まれたのはあの『太陽のない街』の小石川区久堅町です。
1921年:小学1年のみ祖父の実家福島市の近く信夫郡の村で過ごす。
その後両親離婚し祖母宅の小石川に戻る。
1923年:父親が杉並の高円寺に新築し引っ越す。関東大震災。
1927年:台東区本所へ引っ越す。
父親の所が嫌になり家出、再び小石川の祖母宅へ。
1931年:満州事変。
1937年:結婚。日中戦争開始。
1938年:召集令状が来る。以後5年余の軍隊生活を送る。
1941年:太平洋戦争開始。
1945年:終戦。疎開していた母方の会津の実家で開墾生活始める。
1948年:教諭に採用される。
1973年:退職し今日に至る。
夏の旅行記で調べていたら、あの本所・深川のプレモダンな下町に父が住んでいたことに気付きました。そして1912年父の生まれる2年前に、啄木が小石川区久堅町で亡くなっていたことを知りました。
私は1910年大逆事件と韓国併合を戦前の歴史の転換点と見てきましたが、何の因果か身近なところで話しが繋がるようです。
来年は郡山市のH君の弁明もあるし、できたら“近代”の100年ぐらい前を彷徨ってみようかなと思います。
実家の裏山近辺から見た飯豊連峰(ハガキより転載)
by turnipman
| 2012-12-30 19:51
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