2017年 05月 27日
福島帰省① 新緑の会津 |
先週、恒例の兄弟会があって、故郷会津に帰りました。
一週間ほど滞在し、会津地方~中通りの郡山市~浜通り浪江町と福島県を横断した。
水田に水が張り出す田植え前の頃、柔らかな緑に囲まれ磐梯山や雪を被る飯豊連峰が連なっている。
新緑の会津は久しぶりで、胸に染入るような美しさで迎えてくれた。
「かくも麗しい風景を他所で見たことが無い」と私は呟いたのだが、同行した地元の友人は「それは故郷を想う気持ちの反映で、誰でも何処にでもあるんじゃないの」とちょっと醒めていた。
やはりずっと住んでいる人には分からず、‟ふるさとは遠きにありて思うもの“なのだろうかと思った。
18歳まで会津に生まれ育った頃は、その原風景は空気のように当たり前にあり、確かに「美しい」などといちいち感動するものでは無かった。
あれから、道路は直線となり、田畑は四角になり、藁葺き屋根は消え新建材の家が立ち並び、町や村の姿は変わっていった。ただその中で自然の大部分は変わっていない。
いつもと変わらぬ草や木や山や河がある。それは遠くに暮らしていると、年を負うごとに増々郷愁として甦ってくるものなのだろう。
水田に逆さ飯豊
いつもの兄弟関係以外にも、同級生や幼なじみと何人も会う機会があった。
それぞれ大部様変わりしている。
あちこち体調を悪くしていたり、重い病気にかかっている人もいた。かつての貴公子やマドンナ達もその面影は今はない。
初めは、小中高時代の楽しかった思い出が崩れるような気がして、会わない方が良いのではないかと、どこかに逃げの気持ちがあった。
しかし、思い出を美しいままにしておきたいなんてのは、若気のエゴ傲慢から来るのだろうし、年を取って若年のイメージが壊れるなら、所詮その程度の思い出なのだろうと観念することにした。
男女とも、老いる時も、病める時も・・である。
最後まで変わりゆく姿を見届け合おうとお会いした。変わりゆく戦後世代にあって、見届けたかったのは、それでも変わらない絆についてであった。
笑顔は昔のままであり、やはり会えて良かったと思った。
野口英世が幼少の頃眺めて育った磐梯山。
記念館で母シカさんの直筆手紙に感銘。終生帰らなかった英世はどう感じたのだろうか。
一週間ほど滞在し、会津地方~中通りの郡山市~浜通り浪江町と福島県を横断した。
水田に水が張り出す田植え前の頃、柔らかな緑に囲まれ磐梯山や雪を被る飯豊連峰が連なっている。
新緑の会津は久しぶりで、胸に染入るような美しさで迎えてくれた。
「かくも麗しい風景を他所で見たことが無い」と私は呟いたのだが、同行した地元の友人は「それは故郷を想う気持ちの反映で、誰でも何処にでもあるんじゃないの」とちょっと醒めていた。
やはりずっと住んでいる人には分からず、‟ふるさとは遠きにありて思うもの“なのだろうかと思った。
18歳まで会津に生まれ育った頃は、その原風景は空気のように当たり前にあり、確かに「美しい」などといちいち感動するものでは無かった。
あれから、道路は直線となり、田畑は四角になり、藁葺き屋根は消え新建材の家が立ち並び、町や村の姿は変わっていった。ただその中で自然の大部分は変わっていない。
いつもと変わらぬ草や木や山や河がある。それは遠くに暮らしていると、年を負うごとに増々郷愁として甦ってくるものなのだろう。
水田に逆さ飯豊
いつもの兄弟関係以外にも、同級生や幼なじみと何人も会う機会があった。
それぞれ大部様変わりしている。
あちこち体調を悪くしていたり、重い病気にかかっている人もいた。かつての貴公子やマドンナ達もその面影は今はない。
初めは、小中高時代の楽しかった思い出が崩れるような気がして、会わない方が良いのではないかと、どこかに逃げの気持ちがあった。
しかし、思い出を美しいままにしておきたいなんてのは、若気のエゴ傲慢から来るのだろうし、年を取って若年のイメージが壊れるなら、所詮その程度の思い出なのだろうと観念することにした。
男女とも、老いる時も、病める時も・・である。
最後まで変わりゆく姿を見届け合おうとお会いした。変わりゆく戦後世代にあって、見届けたかったのは、それでも変わらない絆についてであった。
笑顔は昔のままであり、やはり会えて良かったと思った。
野口英世が幼少の頃眺めて育った磐梯山。
記念館で母シカさんの直筆手紙に感銘。終生帰らなかった英世はどう感じたのだろうか。
by turnipman
| 2017-05-27 15:02
| 古道散策