那覇の夜に沖縄と本土の温度差みたいなものを感じた

辺野古の座り込み集会でも気になる出来事があった。

ある地元の高齢のおじいがスピーチで、基地建設反対の決意を淡々と語っていた。
そのうち熱を帯びてきて、しかるになぜ安倍内閣は高支持止まりなのか、それは国民がくだらないバラエティーばかり見て考える力を無くしているからだと、正確には忘れたがそのようなことを言って、次第に国民批判を始めた。国民と言うより、暗に本土の民度の低さをなじっているようだった。

そして、「それまで待てない、基地は墓場まで持っていけない!」と叫んだとき、参加者からヤジが飛んだ。「持っていけ!」「それじゃダメ」という声も聞こえてきて、おじいは急にシラケてスピーチを止めてしまった。

一瞬何が起こったのか分からなかったが、帰ってからずっと気になった。


ややもすると運動の紆余曲折では、国民に批判の矛先が向いたり、逆に国民批判を批判するものも出てくるのはよくあることだ。
どちらの言い分も分るし、どちらも有っていいと思う。それは主要な対立ではないし、昔から市民運動の中にあるような和解的矛盾なのだろう。

私は心情的にはおじいの国民批判は共感できる。しかし国民を敵にすべきではないという、たぶんヤジっていた側の理屈も分る。
つまり私的には、感情と理屈で自己矛盾している。ただその小さな対立がトゲのように刺さって、自分の自己矛盾としてあったことを気づかされたのだった。




(アコウの木)
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過日、三上智恵監督の「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」(2015年公開)という記録映画を見たことがあった。
基地建設を阻止しようとする非暴力実阻止運動をメインに表現していて、山城博治さんらと機動隊や警備員との対峙を延々と映されていた。

でもその作品に何か消化不良の様なものを感じた。
私が機動隊や警備員だったとして、基地建設に断固反対だったとして、「まあ飯食うためには座り込み排除しなくちゃいけないので御免なさい」と仕事するだろう。
その辺はまぁどうでも良いじゃな~い、なんて曖昧にすべき事ではないと思う。

この記録映画は本当の敵(アメリカ)が見えてこないみたいなことを、藤原新也も言っていた。

理屈ではなく視覚的には、機動隊を敵視しそれと闘うのが運動みたいに作品は仕上がっているような気がした。しかし彼らは敵の手先であって敵の中枢ではないだろう。
勿論監督もそんなことは承知しているのだろうが、結果としては感性と理屈が噛み合っていないように感じられた。

記録映画であるなら、その背後にある敵の本体を炙り出すような作品にしてほしいと思った。




(デイゴ)
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辺野古に座り込んだ夜は那覇のホテルに泊まり、夜中その周辺を一人散歩した。
私は知らない街に行くと飲み屋をハシゴして、犬のマーキングのごとく、その土地の臭いを嗅いで回る習性がある 笑。
それも繁華街ではなく、裏町の民家の側に有るような酒場を徘徊したがる。

その日は一軒だけ、沖縄音楽が流れている飲み屋があったので入った。
感じの良いこじんまりした店なのだが、入ると何か違和感があった。
一見愛想良さそうな店員やお客がいたのだけれど、こちらを警戒しているような、どこかによそよそしい冷たい視線を感じたのだ。
しれは東京の歌舞伎町とか大阪の新地などの、大都会の怖さとは違っていた。

よそ者や侵入者を警戒しているような気配とでもいうものだろうか。
復帰後6000件を超える米兵の犯罪があり、被害が日常的にある地域だからなのだろうか。
本土の犠牲になり本土は信用できないから、自警の意識が強いのだろうか・・ などと後に思った。

もっとも、一晩街を見て回ったからといってそんなに分るわけではなし、むしろ私の方が思い込みが強く色眼鏡で見ていてそのように錯覚したのかもしれない。(ただ単に、私が怪しい風袋だったせいかも知れない)。

いずれにしろ、那覇の夜に沖縄と本土の温度差みたいなものを感じた。
沖縄から帰ってずっとそれが気になっている。




(ハイビスカス)
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沖縄は分断攻撃の最前線でもある。
真の敵を見誤ると、いつの間にか連帯にもヒビが入り、放っておくと大きな亀裂になることもある。戦後の市民運動は分裂しては離合集散を繰り返してきた。

その教訓も蓄えられ鍛えられ、現在では意見の違いを尊重し‟小異を捨て大同に付く“ルールも出来上がってきていると思う。
戦前の社民主要打撃論や、戦後の対官憲直接対決至上主義みたいな過ちを、市民運動は克服してきたし、沖縄と本土の民度のギャップも相互理解によって乗り越えて行けるはずだ。


新基地建設の真の敵は、アメリカとその下僕である日本政府にあり、具現化したのが安保条約であって、それ以上でも以下でもない。その認識は広く分かち合いたい。
しかしそのことは反基地非暴力実力闘争の一致点ではない。あくまでも基地建設反対だけが一致点であり、妨害しない限り様々な考えの参入は認められる。


陣営には翁長県政支持者が多数だが、自公政権支持者もいるし、国民(本土)を非難したり、機動隊を敵視したりする人もいるだろう。逆にそういう人を批判する人達もいるだろう。
いろんな人がいるのは当たり前であって、違和感を感じたとしても、それは一致点を見誤らない限り和解的な矛盾として受け止めなければならない。


北朝鮮も、攻撃を煽る国民の一部も、権力の手先の機動隊も、那覇の夜を彷徨う酔っ払いも、味方とは言えないまでも真の敵ではない。
和解的な矛盾であるなら、相手を尊重し意見交換することで真の敵は明らかになり、団結や連帯の輪を太く豊かにしていけるのだと思う。


ー「弾圧は抵抗を呼び、抵抗は友を呼ぶー 瀬長亀次郎の有名な言葉がある。
一致点で共闘しながら、真の敵が明らかになることで、連帯が広がると解したい。




(竹ほうきの横笛)いい音出してる!
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Commented by cocomerita at 2017-05-11 23:07
ciao turnipmanさん
沖縄に行ってらっしゃったんですね
私も一度行きたいと思っています
そういう現地でしか感じられない空気ってありますからね

そのおじいさんの気持ちはよくわかります
こんなくだらない政府が未だに存在できていることの責任の一端は国民にあると私は考えています
そして 戦後 基地問題を沖縄に押し付けて何十年も本土ではのうのうと知らんふり して暮らしてきたことも、恥ずべき事だと 沖縄の人たちに申し訳なく思います。
ですから彼らから本土とある種の壁を持って呼ばれるのは仕方のないことだと、
初めに壁を打ち立てのは 本土の人間です

敵は教えてもらうものではなく 自分で 興味なり問題意識を感じて探ってたどり着くものです。
教えてもらうのをただ待っている限りは その敵をどうしようか。という意識にまでは決して結びつきませんから。
Commented by turnipman at 2017-05-12 02:54
そうですね。
おじいの本土の意識の低さを批判する気持ちもわかります。むしろもっと聞きたかったのに、ヤジることないじゃんかと思ったのですが。本土との連帯に水を差すな、みたいなヤジだったんでしょう。
かって薬害問題で、全盲で車いすの被害者が製薬会社前の抗議集会で「社員は出てこい!」と社員に抗議していました。それは血の叫びで分るのですが、しかし社員が敵ではないだろうと、スタッフ間で口論になったことがありました。
そこらへんデリケートな問題ですね。
そんなことがいちいち気になるのは、私が自己矛盾しているからなんでしょう、きっと。

真の敵はどこなのか、人によって考えに違いがあるので強要はできないですね。
あくまで基地建設反対だけが一致点で、多様な考えを容認する。敵をはき違えた考えには相互に批判して理解を深めるしかないってことでしょう。
by turnipman | 2017-05-09 07:56 | 頑張らないけど諦めない | Trackback | Comments(2)

南海の波打ち際で         記録写真


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