お婆さんのこと

先月、梅雨が明け暑い夏が訪れた頃、山の上に住んでいたお婆さんが亡くなりました。
享年99歳でした。最後まで意識がはっきりしていて、よく頑張って長生きしたと思います。
ご苦労様でした。いろいろお世話になりありがとうございました。


言葉にならないが、思い出を少し辿ってみると、特に、山の中で暮らして一番怖いのは「水」だと言っていたことが忘れられない。
日照りで貯水槽の水が無くなると、炊事洗濯風呂など生活が一変にマヒするし、雨が多いと山道が川となり道や畑を壊していく。だから水の量と流れの管理が、一番難しいとは後になって分かった。
ここで必要なのは知識よりも、手探りの、経験に裏打ちされた知恵なのだろう(確か倉本聡もそんなこと言っていたっけ)。


お婆さんのメハリ寿司やサンマ寿司は美味しい。特に漬物がすごく美味しいと誰もが言っていた。
此方も糠漬けを始めるにあたって、教わりに行ったことがある。しかし、ただ作り方が同じでも、真似できるものではないと知らされた。
女性の手は乳酸菌があり特に授乳期の女性の糠漬けは美味しいという説を本で読んだが、それは疑問に思う。
‟おふくろの味“は婆さんの経年の手の方が、醸し出されるのではないだろうか。
根拠はないが経験上間違いないだろう。いつか婆さんのハンドパワーを解明する学説が出てくるような気がしている。

病院で亡くなる少し前にお見舞いに行った。
話しかけると此方が誰だか分るようだった。
苦しそうなので「大丈夫」とその手をさすった。しばらくすると手を引いた。「もういいよ」と伝えているようだった。それが最後の記憶となった。



葬儀の後、一切を準備していたことを知らされた。
孫、曽孫一人一人には一封のお小遣いを残していた。
そして、一族や親しかった人達に宛てた遺書が発見された。
私達夫婦にも其々残されていた。お世話になったとか、後は宜しくとの短い内容の後に、私に対しては「車に気を付けて」とあった。
直近でヒヤッとすることがあったばかりで、何が危ないのか経験則で分る人だし、さすがお婆さんだと思った。



初七日で、99年間好きなことだけして生きて、最期まで誰にも迷惑をかけず(介護されたことがない)、そんな死に方したいなあ、と明るく笑った。
「ごくろうさま」「ありがとう」。



戦後お婆さん達は戦火を逃れるようにして、開拓団としてこの山に入植した。
この紀南の小さな町は、戦後米軍基地と原発をどちらも拒んだ、日本でも稀に見る地域である。
その反対運動の先陣にいた婆さん達は、生き証人でもあった。
戦後紀南地域史みたいなものを、まとめる人はいないだろうかと思う




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Commented by cocomerita at 2017-08-12 16:07
ciao turnipmanさん
100歳じゃなくて、99歳って言うのが なんか彼女らしいのかなあ、、なんてふと思いました

思い切り 一生懸命生きて そして死を用意して 潔く発つ
素晴らしい方であったのが わかります
そう言う方と巡り会えて お幸せでしたね

今頃 水の心配をすることもなく 大きなハスの上でのんびり なさってることでしょう
Commented by turnipman at 2017-08-14 15:32
最後まで意識がはっきりしていて、先日話した話の続きが話せました。
此方の方がボケてるみたいです。
それと入院している時は別でしょうが、介護されることがなく、入院直前まで自活してました。
何度も入院しては復活し、ある意味怪物でしたね。
充分生きて周りから感謝されて、後悔はないと思います。
真似できないなあ。


by turnipman | 2017-08-03 19:27 | 残土録 | Trackback | Comments(2)

南海の波打ち際で         記録写真


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