2017年 08月 06日
『夏休み』 |
今日の朝、町内放送で追悼のサイレンが流れた。
午前8時15分、広島に原爆を落とされた時刻に黙祷を捧げようと、町民の間から要請の声が上がり、その運びとなったらしい。
今年は、新たに確認された人も含め30万8725人の原爆死没者、広島の慰霊碑に納められた。
先日、地域で夏の恒例イベントとなりつつある‟平和の風コンサート”へ出かけた。
地元のアマチアの方々がとても良くて参加している。
今年は更に中川五郎を呼んでのコンサートで、色々楽しい時間を過ごした。
そこで、中川五郎がディランの『風に吹かれて』を歌っていた。
最後のフレーズ「The answer is blowin' in the wind」を「風に吹かれ続けている」としていて、字余り的で無理があるんじゃないの、他はどうなっているのだろうと、帰ってからNetで調べてみた。そしたら吉田拓郎が「風にふかれているだけ」としているのが見つかった。
どっちでも良さそうだが、この違い意外と大きいのではないかと思った。
中川のは‟実は手の届く所にある”と前向きで、拓郎のは‟どうせ手は届かない”みたいな投げやりな感じがする、、、。
ディラン自身は次のように語っている。(参考までに)
歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト!」に、ディランのコメントと共に掲載されている。
「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」
(ウィキペディアより)
ところで拓郎の『風ぬ吹かれて』をY-Tubeで聴いていたら、懐かしい曲を見つけた。
夏休み (本当は切ない反戦歌だった?) 吉田拓郎
この『夏休み』は、1972年拓郎の最初のアルバム『元気です』にあった。
ディランと拓郎はメロディに口語体の詩を無理にでもはめ込んで、字余りでも自在勝手に歌うのを特徴とした。言葉を優先し、メロディに添って詩を合わせようとはしない。したがってメロディと詩の不一致が既成概念を破るようで、新しい手法として当時脚光を浴びた。それが今では普通になっているのはご承知の通りだ。
ただこの『夏休み』は、拓郎の歌の中では珍しく言動一致する名曲であったと思う。
もちろん、これが「反戦歌」だったなどという拓郎の言い分は聞いたことは無いし、Netで調べたら、少年時代実体験した鹿児島での情景を描いたものだそうで、「反戦歌」とするのは都市伝説だとも解説されている。
それにも拘らず、私は優れて反戦的な歌ではないかと思ってしまう。
普通に、夏休みは去って行っても、また夏が来ればやって来るものを、この『夏休み』は二度と戻らない。時が止まったままである。そこが不可思議な歌であった。
そこを、かつて一つ一つが、全てが、消えて行った暑い夏の日があった、それでも夏休みを待っているのは、亡くなった子供達であろうか、それとも亡くなった先生であろうか・・ そんな思いで聴くと腑に落ちる歌になる。
拓郎は「広島とは何の所縁もない」と否定しているし、政治的な関係を注意深く避けているようだった。しかし、その良し悪しは別として、拓郎が広島出身であり潜在意識にヒロシマの深い影響を受けているのではないかと、私は勝手に思う。
そうでなければ、『風に吹かれて』を゛どうせ手に届く筈がない”ように歌い、全てが消えた夏休みのイメージを、詩とメロディを昔風に一致させ、追悼するように歌うことはなかったのではないだろうか?
中川五郎、ボブ・ディラン、吉田拓郎と話が転がってしまった。
"Like a Rolling Stone" いずれも直接メッセージはしないのだが、反戦の香り漂うアーティストであったように思う。
まあそんなこんなで、3/1、3/11、8/6、8/9は我が追悼の日としよう。
いつまで追悼するのかって? この国が存続する限り永遠に。。
一瞬の夏(ジャケット)
午前8時15分、広島に原爆を落とされた時刻に黙祷を捧げようと、町民の間から要請の声が上がり、その運びとなったらしい。
今年は、新たに確認された人も含め30万8725人の原爆死没者、広島の慰霊碑に納められた。
先日、地域で夏の恒例イベントとなりつつある‟平和の風コンサート”へ出かけた。
地元のアマチアの方々がとても良くて参加している。
今年は更に中川五郎を呼んでのコンサートで、色々楽しい時間を過ごした。
そこで、中川五郎がディランの『風に吹かれて』を歌っていた。
最後のフレーズ「The answer is blowin' in the wind」を「風に吹かれ続けている」としていて、字余り的で無理があるんじゃないの、他はどうなっているのだろうと、帰ってからNetで調べてみた。そしたら吉田拓郎が「風にふかれているだけ」としているのが見つかった。
どっちでも良さそうだが、この違い意外と大きいのではないかと思った。
中川のは‟実は手の届く所にある”と前向きで、拓郎のは‟どうせ手は届かない”みたいな投げやりな感じがする、、、。
ディラン自身は次のように語っている。(参考までに)
歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト!」に、ディランのコメントと共に掲載されている。
「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」
(ウィキペディアより)
ところで拓郎の『風ぬ吹かれて』をY-Tubeで聴いていたら、懐かしい曲を見つけた。
夏休み (本当は切ない反戦歌だった?) 吉田拓郎
この『夏休み』は、1972年拓郎の最初のアルバム『元気です』にあった。
ディランと拓郎はメロディに口語体の詩を無理にでもはめ込んで、字余りでも自在勝手に歌うのを特徴とした。言葉を優先し、メロディに添って詩を合わせようとはしない。したがってメロディと詩の不一致が既成概念を破るようで、新しい手法として当時脚光を浴びた。それが今では普通になっているのはご承知の通りだ。
ただこの『夏休み』は、拓郎の歌の中では珍しく言動一致する名曲であったと思う。
もちろん、これが「反戦歌」だったなどという拓郎の言い分は聞いたことは無いし、Netで調べたら、少年時代実体験した鹿児島での情景を描いたものだそうで、「反戦歌」とするのは都市伝説だとも解説されている。
それにも拘らず、私は優れて反戦的な歌ではないかと思ってしまう。
普通に、夏休みは去って行っても、また夏が来ればやって来るものを、この『夏休み』は二度と戻らない。時が止まったままである。そこが不可思議な歌であった。
そこを、かつて一つ一つが、全てが、消えて行った暑い夏の日があった、それでも夏休みを待っているのは、亡くなった子供達であろうか、それとも亡くなった先生であろうか・・ そんな思いで聴くと腑に落ちる歌になる。
拓郎は「広島とは何の所縁もない」と否定しているし、政治的な関係を注意深く避けているようだった。しかし、その良し悪しは別として、拓郎が広島出身であり潜在意識にヒロシマの深い影響を受けているのではないかと、私は勝手に思う。
そうでなければ、『風に吹かれて』を゛どうせ手に届く筈がない”ように歌い、全てが消えた夏休みのイメージを、詩とメロディを昔風に一致させ、追悼するように歌うことはなかったのではないだろうか?
中川五郎、ボブ・ディラン、吉田拓郎と話が転がってしまった。
"Like a Rolling Stone" いずれも直接メッセージはしないのだが、反戦の香り漂うアーティストであったように思う。
まあそんなこんなで、3/1、3/11、8/6、8/9は我が追悼の日としよう。
いつまで追悼するのかって? この国が存続する限り永遠に。。
一瞬の夏(ジャケット)
by turnipman
| 2017-08-06 23:18
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