『日本は何故、基地と原発を止められないのか』

沖縄と福島の旅行を通じて、私は基地と原発に生理的に嫌悪しているのが分かった。(基地はそれほどでもなかったけれど、沖縄で戦争という視点で見直してから、改めて嫌悪するようになった)。それは間違いなく自分の中にある。
それらは、美しい自然の中で生きる者達の営みを、拒否しているように感じるのだ。


矢部宏治氏の『日本は何故、基地と原発を止められないのか』という本を以前読んで書いたことがあった(探すのが面倒くさいので省略する)。
矢部宏治氏は、憲法はアメリカに押し付けられたものであり良い方向で改憲すべきだとしている点で、私とは考えは合わないが、この本は読んでみて参考になった。


2000年以降私が不思議に思ったことが2つある。この本はその訳を解説している。

一つは、民主党鳩山政権がなぜ急に「抑止力として辺野古移転しかない」と180度方向転換し、辞任したのかということ。
日本国憲法よりも日米安保条約の方が上に有り、砂川裁判で日本の司法は安保関連することは裁けないとしており、その後日米地位協定が結ばれ、今では月二回の日米合同委員会の合意(密約)で事が進められている。実権は当事者官僚が握っており国政の内閣府はそれに従っているだけ。つまり、日本の首相の力は実質無く、辞任せざるを得ないように追い込まれた、というような内容だった。

もう一つは、日本の右翼は嫌韓嫌中を言うけれど、なんで‟嫌米“は言わないのだろうという素朴な疑問である。
右翼ならば、天皇国家神道日本民族万歳!であるはずなのに、原爆落とされ空襲されて戦争に負けたとたんに、鬼畜米兵とは言わなくなり、恥も外聞も無くアメリカ万歳!ありがとうみたいな態度に一変した。。一体何なの? と不思議に思っていた。日本会議や安倍晋三なんてポチそのものではないかと。


そのことを今回車中で読んだ『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』の本で、矢部宏治氏が触れていて目からウロコだった。

敗戦直後天皇は自分の命と交換に、アメリカに沖縄の半永久的な占領を求めた。89年入江侍従長の日記が明らかにされ、沖縄では大々的に報道された。それで天皇がアメリカに米軍を沖縄に置く信託統治を求めたということを、本土ではあまり知られていないが、沖縄の人達は普通に思っているとのこと。

朝鮮半島の動乱が激しくなり、赤化防止のため、天皇と米軍の利害が一致した。

アメリカの日本人に対する心理分析は、日本人以上にかなり的確だったのだろう。しかしそれが事実ならば、右翼から見れば天皇を守ってくれたのだから、万歳!アメリカありがとうとなる。戦前と比べれば何とも無節操な右翼に思えるが、別な角度から見ればそれは、それは不思議でもなんでもないことになる。。。


親兄弟を大切にして祖先を崇拝し氏神を奉る、その大元のDNAが天皇であるとする。‟生長の家原理主義者“日本会議はそこを根城にしているから、自民党改憲草案の第一条は「天皇元首」化である。「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」という教育勅語復活を悲願とする。現在そこに殆どの与党政治家が利権がらみで取り込まれている。彼らの国家愛とは西洋風の市民社会へのそれではなく、天皇中心国家への愛である。蟻さん型もしくは蜂さん型社会への倒錯した偏愛なのだ。そこでは天皇を守るアメリカは大歓迎、アメリカのミサイル核なら問題なし、アメリカの戦争ならOKもしくは黙認、「北朝鮮は危ねー!」と叫んでいれば良い、という図式が見事に成り立っているのだ。


天皇部族国家を守ってくれるのならどこの国でも良いという無節操さが、実は日本の国民の中にも潜んでいる。忖度と委縮の社会現象の深淵に、それは生理的本能的にあるのである。そこを私達は乗り越えて行かなければならない。




a0170390_20141917.jpg

[PR]
トラックバックURL : http://turnipman.exblog.jp/tb/237067946
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by turnipman | 2017-06-02 20:20 | 2011.3.11 時代 | Trackback | Comments(0)

南海の波打ち際で         記録写真


by turnip