熊野古道大辺路を行く

熊野古道大辺路で、新たに4ヵ所世界遺産に追加登録されたというので出かけてみた。
大辺路は海岸線沿いにあるため 昇り降りが激しく綴れ折れながら続いている。
これまでは周参見の馬転坂(ホンマ馬が転び落ちそうな見事な坂道でした)しか行っていませんでした。

この地域の人達は夏が好きいう人が多いけれど、北国育ちの私は夏の暑さと湿気に馴染めなくて、むしろ冬の方が好きです。温かくて清々しいのがいいです。
その日も空は抜けるような青さでした。広葉樹林や針葉樹林に陽光がきらめいていました。



○和深の新田平見道(227m)

すぐ近所の人に場所を尋ねたら、「さあどこかな?」という返事!。案内看板も無く地元の人達には関心が薄いのかもしれません。
分る方を紹介してくれて案内してもらった。この辺りに以前田んぼが有ったそうです。
a0170390_10071926.jpg
a0170390_10071990.jpg


○田子の富山平見道(214m)

ここの石畳は立派でした。さぞかし土木工事は大変だったことでしょう。

a0170390_10071748.jpg
a0170390_10071743.jpg
a0170390_10071874.jpg


○田並の飛渡谷道(387m)

ここでもおばさんに場所を聞いたけど分からない。「あっちの方みたい」 笑。
ほとんどどこにでもあるような山道にしか見えないです、、 これも古の道には違いないのでしょうが、世界遺産と言われてもねー って感じです。
ここで出会ったおっちゃんも、ここは昔田畑だったと言っていました。大八車で物を運んだので横幅は2mは必要だったとのことです。

a0170390_10072050.jpg
なぜかツツジが咲いている。
a0170390_10072066.jpg


○田原~浦神の清水峠(約2Km)

口熊野と億熊野の境界址から浦神港まで、一番長い道のりでした。
ここは石畳は少なく、林道が続いています。
a0170390_10062994.jpg
きれいな小川に添っていて
a0170390_10062951.jpg
センリョウがあちこちに見られる
a0170390_10063084.jpg
熊野古道もイノシシに荒らされ修理が大変だとか、終点の浦神で作業中のおっちゃんが教えてくれた。
a0170390_10063298.jpg
終点の浦神港。
(田原と浦神と、かつて共に原発を拒んだ地域です。)
a0170390_10063249.jpg

*今回改めて気付いたのは、熊野古道とは生活道だったということでした。
熊野古道というのは、深山幽玄の熊野三山を目指す聖なる巡礼の道みたいなイメージを抱きがちですが、それは現代人の勝手な妄想なのかもしれません。
かつては国道など無く、海岸線の岩山を網の目のように道を作っていたようです。生活の為に、海洋民族で平地の無い人達は、山の中に小さな田畑を作って暮らして、荷車を引くのに巾2m級の道路が必要だった。亜熱帯性のスコールや台風が襲う豪雨地帯ため道路は直に流される。その為に石を並べ治水対策するようになった。だから、実は熊野古道とは何度も修繕され、元々の道路が何処に有ったかは定かではないし、いつの頃からの道が残っているのかも判然とはしていない。分っているのは古代から縦横無尽に獣道のような古道は巡っていたということで、それは当時の人達のライフラインだったということです。‟馬転坂”なんて、実際に絶壁のような坂を馬が荷を運んでいたから名付けられたのでしょう。
やがて熊野三山へ繋がる一筋が信仰の道とされるようになった。そして今では観光の為にも再発掘されているということです。もちろん古道を保存することに異議は無いのですが、古来生活を繋ぐ細々としたラインが元々有ったと思うと、世界遺産とは別に感慨深いものがあります。


たしか田辺市の熊野古道とスペイン・サンティアゴの巡礼の道は交流関係にあって、「二つの道の巡礼者」にならんことを奨励している。
神仏習合の熊野とカトリックのサンティアゴ、そして大辺路串本はイスラムトルコとの友好関係にある。
その昔から紀南地方の海の民は目が外に向いていて、異文化を受け止める(受け流す)気風があったようです。ここでは世界的な宗教でさえ共存しているかのようです。

[PR]
トラックバックURL : http://turnipman.exblog.jp/tb/23492607
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by turnipman | 2016-12-22 11:46 | 古道散策 | Trackback | Comments(0)

南海の波打ち際で         記録写真


by turnip