2015年 11月 01日
9条と自衛隊Ⅱ:共産党の道理ある矛盾について |
共産党が自衛隊違憲や安保条約破棄の主張を一旦脇に置いて、戦争法を廃棄し立憲政治を取り戻すために、国民連合政府樹立を求め選挙協力を提案したことには賛同します。
このような基本政策の凍結による共産党右傾化等の心配もしていませんし、このところまともな政党は共産党しかないのではないかと支持しています。
ただ、9条と自衛隊との関係について、世間の一部にある反共意識とは別に、共産党の主張に違和感を持つところがありますので、覚書としてまとめておきます。
それは共産党がこれまで一貫して? ‟個別的自衛権“を認めて来たのではないかという辺りです。
岩上安身の志位委員長のインタビュー内容が整理されていました。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/269515
戦後新憲法が国会で取りざたされた時に、憲法9条に個別的自衛権が無いとして、唯一共産党だけが反対したそうです。それに対して吉田茂首相が「9条は個別的自衛権も認めていない」と答えたそうですから驚きです。自衛権を共産党は認め、自民党の前身は認めなかった・・唖然です!
当時は野坂参三(後にソ連のエージェントだったことが発覚し失脚)の国会質問で、その後党の分裂があったりして、今と繋げるには相当無理がありますが、共産党は個別的自衛権を一貫して認めていたということでした。
その後1961年の党綱領確定後~1994年まで、事実上対米従属の自衛隊の解散を要求します。自衛隊を解消し、改憲を視野に入れて自衛の為の組織を持つという、武装中立の立場だったそうです。旧社会党の非武装中立とは違うもので、70年代の社共革新自治体運動後、激しい論争があったのを覚えています。
現在、個別的自衛権は認めつつも、それ以上に憲法を守る(天皇制も含め)ことが最重点課題としている。つまり憲法9条は守る。したがって自衛隊は違憲であり、国民が納得した段階で解消していく。しかし国際法上も認められている自衛権それ自体を否定するものではないとしています。
極論すれば、戦争放棄の9条を擁護するが、自衛の為の戦争行為は認めると言っているようなものです。私がずっと違和感を感じ腑に落ちないのは、共産党のこの矛盾した見解についてです。
社会主義の克服すべき諸課題の一つは、国家論や権力論にあるだろうと薄々感じていました。
マルクスの時代は一国社会主義という概念よりも、万国(と言っても欧州中心)の運動という捉え方だったように思います。しかし実際は資本主義の弱い環だったロシア一国から、初めての社会主義政権が生まれます。
ロシア革命が起き、レーニンが『国家と革命』を著したのは1917年(大正6年)2月革命の直後、二段階10月革命の直前でした。そこでレーニンは革命とは国家権力の奪取にあることを、理論付け体系化する必要に迫られたのでしょう。
従ってレーニンの『国家と革命』は一国社会主義革命の理論武装としてあった。レーニンは‟国家権力の本質は暴力だ“と捉える。それは抽象的な概念ではなく、軍隊、警察、裁判所、監獄など国民を強制できる具体的なものでした。その最たるものが軍隊です。暴力である国家権力の奪取とは、軍隊等の強制力をどこが掌握するかにあったのです。(と私はあやふやに理解しているが、間違っていたら御免なさい。)
『国家と革命』はプロレタリア独裁や、暴力革命を必然とする過ちがあったと昨今は言われています。
その後スターリンが引き継ぎ、革命後の諸外国からの干渉戦争(シベリア出兵)があり、一国社会主義国家を防衛するために、掌握した軍隊で戦時共産主義の体制を築いていきます。ソ連崩壊後明らかにされた大テロルや官僚主義、他国への覇権や干渉やヒトラーとの裏取引等は、その様な背景があって行われていたということです。
第二次大戦で最も多く犠牲者を出したのはソ連で、レニングラード攻防戦でナチス軍に勝利したことが戦局を変えます。それもまた祖国防衛戦争として鼓舞されたのでした。
一国社会主義国を守る個別的自衛権を過度に強化し、自己目的化した延長線上に、ソ連型社会主義崩壊の要因があったのではないかと、私は思います。
一国社会主義の建設と防衛は、やがてコミンテルを不要にし、各国の実情に見合った自主独立の運動へ進みました。各国共産党の自主独立、対等平等、相互不干渉を確認した1960年の81カ国共産党・労働者党代表者会議の声明で、日本共産党が大きな役割を果たしたとされています。
その点で日本共産党は、ソ連共産党や中国共産党の覇権主義や内部干渉に徹底して反対し、自主独立を貫き民主主義革命を目指した世界でも唯一稀な政党でしょう。日本共産党に対しソ連共産党がその覇権主義的干渉を謝罪したのが1979年、中国共産党が謝罪したのが1998年のことでした。
そこまでは良いのですが、各国の政治権力の奪取は各国の党の自主性に任せるということで、一国社会主義革命が当然視され、逆にレーニン以来の‟国家権力“の捉え方が一貫して続くことになったのではないでしょうか。
そこに日本共産党の、自衛隊は違憲だが個別的自衛権は認めるという、分りにくい主張の根源があるのではないかと思うのです。
(公には主張していませんが、この場合の‟自衛権”とは、一国家一軍隊ということになります。)
マルクスの頃描かれた未来社会は、国境が無く国家間戦争の無い共産主義社会でした。それがロシア革命を期に、具体的な国家権力(軍隊)奪取と、一国社会主義国家防衛(個別的自衛権)の問題へとテーマがすり替わります。
国境無き平和な社会を望みつつ、その為には国境で囲われた一国の権力(軍隊)の掌握しか手段が無いということ。そこに日本共産党の、9条を守るのを最優先課題とするが個別自衛権も認めるという、道理はあるが矛盾した立場があるようです。
私はずっとその辺に違和感を感じ、いまだ腑に落ちないところです。
憲法9条は一切の戦力保持を認めず、自衛の為の交戦も認めていません。したがって自衛隊は違憲であり、国民の合意を持って廃止すべきです。
「攻めてきたらどうするか」、自衛隊が存続する以上は、災害対策部隊として対処してもらいましょう。そして自衛の権利は認めるという立場なら、武力によらず、国民自ら自警団を組織し素手で戦うべきです。それが9条を守る側の矛盾の無い主張ではないでしょうか。
その様な素手の覚悟を抜きに、マルクスの言う国境無き(国家間戦争の無い)未来社会を展望することは出来ないのではないかと思うのです。
そんな意味でも、9条は世界史的にも未来社会を示唆する貴重な条文であり、一字一句変えてはならないとも思う訳です。
駒ヶ岳
このような基本政策の凍結による共産党右傾化等の心配もしていませんし、このところまともな政党は共産党しかないのではないかと支持しています。
ただ、9条と自衛隊との関係について、世間の一部にある反共意識とは別に、共産党の主張に違和感を持つところがありますので、覚書としてまとめておきます。
それは共産党がこれまで一貫して? ‟個別的自衛権“を認めて来たのではないかという辺りです。
岩上安身の志位委員長のインタビュー内容が整理されていました。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/269515
戦後新憲法が国会で取りざたされた時に、憲法9条に個別的自衛権が無いとして、唯一共産党だけが反対したそうです。それに対して吉田茂首相が「9条は個別的自衛権も認めていない」と答えたそうですから驚きです。自衛権を共産党は認め、自民党の前身は認めなかった・・唖然です!
当時は野坂参三(後にソ連のエージェントだったことが発覚し失脚)の国会質問で、その後党の分裂があったりして、今と繋げるには相当無理がありますが、共産党は個別的自衛権を一貫して認めていたということでした。
その後1961年の党綱領確定後~1994年まで、事実上対米従属の自衛隊の解散を要求します。自衛隊を解消し、改憲を視野に入れて自衛の為の組織を持つという、武装中立の立場だったそうです。旧社会党の非武装中立とは違うもので、70年代の社共革新自治体運動後、激しい論争があったのを覚えています。
現在、個別的自衛権は認めつつも、それ以上に憲法を守る(天皇制も含め)ことが最重点課題としている。つまり憲法9条は守る。したがって自衛隊は違憲であり、国民が納得した段階で解消していく。しかし国際法上も認められている自衛権それ自体を否定するものではないとしています。
極論すれば、戦争放棄の9条を擁護するが、自衛の為の戦争行為は認めると言っているようなものです。私がずっと違和感を感じ腑に落ちないのは、共産党のこの矛盾した見解についてです。
社会主義の克服すべき諸課題の一つは、国家論や権力論にあるだろうと薄々感じていました。
マルクスの時代は一国社会主義という概念よりも、万国(と言っても欧州中心)の運動という捉え方だったように思います。しかし実際は資本主義の弱い環だったロシア一国から、初めての社会主義政権が生まれます。
ロシア革命が起き、レーニンが『国家と革命』を著したのは1917年(大正6年)2月革命の直後、二段階10月革命の直前でした。そこでレーニンは革命とは国家権力の奪取にあることを、理論付け体系化する必要に迫られたのでしょう。
従ってレーニンの『国家と革命』は一国社会主義革命の理論武装としてあった。レーニンは‟国家権力の本質は暴力だ“と捉える。それは抽象的な概念ではなく、軍隊、警察、裁判所、監獄など国民を強制できる具体的なものでした。その最たるものが軍隊です。暴力である国家権力の奪取とは、軍隊等の強制力をどこが掌握するかにあったのです。(と私はあやふやに理解しているが、間違っていたら御免なさい。)
『国家と革命』はプロレタリア独裁や、暴力革命を必然とする過ちがあったと昨今は言われています。
その後スターリンが引き継ぎ、革命後の諸外国からの干渉戦争(シベリア出兵)があり、一国社会主義国家を防衛するために、掌握した軍隊で戦時共産主義の体制を築いていきます。ソ連崩壊後明らかにされた大テロルや官僚主義、他国への覇権や干渉やヒトラーとの裏取引等は、その様な背景があって行われていたということです。
第二次大戦で最も多く犠牲者を出したのはソ連で、レニングラード攻防戦でナチス軍に勝利したことが戦局を変えます。それもまた祖国防衛戦争として鼓舞されたのでした。
一国社会主義国を守る個別的自衛権を過度に強化し、自己目的化した延長線上に、ソ連型社会主義崩壊の要因があったのではないかと、私は思います。
一国社会主義の建設と防衛は、やがてコミンテルを不要にし、各国の実情に見合った自主独立の運動へ進みました。各国共産党の自主独立、対等平等、相互不干渉を確認した1960年の81カ国共産党・労働者党代表者会議の声明で、日本共産党が大きな役割を果たしたとされています。
その点で日本共産党は、ソ連共産党や中国共産党の覇権主義や内部干渉に徹底して反対し、自主独立を貫き民主主義革命を目指した世界でも唯一稀な政党でしょう。日本共産党に対しソ連共産党がその覇権主義的干渉を謝罪したのが1979年、中国共産党が謝罪したのが1998年のことでした。
そこまでは良いのですが、各国の政治権力の奪取は各国の党の自主性に任せるということで、一国社会主義革命が当然視され、逆にレーニン以来の‟国家権力“の捉え方が一貫して続くことになったのではないでしょうか。
そこに日本共産党の、自衛隊は違憲だが個別的自衛権は認めるという、分りにくい主張の根源があるのではないかと思うのです。
(公には主張していませんが、この場合の‟自衛権”とは、一国家一軍隊ということになります。)
マルクスの頃描かれた未来社会は、国境が無く国家間戦争の無い共産主義社会でした。それがロシア革命を期に、具体的な国家権力(軍隊)奪取と、一国社会主義国家防衛(個別的自衛権)の問題へとテーマがすり替わります。
国境無き平和な社会を望みつつ、その為には国境で囲われた一国の権力(軍隊)の掌握しか手段が無いということ。そこに日本共産党の、9条を守るのを最優先課題とするが個別自衛権も認めるという、道理はあるが矛盾した立場があるようです。
私はずっとその辺に違和感を感じ、いまだ腑に落ちないところです。
憲法9条は一切の戦力保持を認めず、自衛の為の交戦も認めていません。したがって自衛隊は違憲であり、国民の合意を持って廃止すべきです。
「攻めてきたらどうするか」、自衛隊が存続する以上は、災害対策部隊として対処してもらいましょう。そして自衛の権利は認めるという立場なら、武力によらず、国民自ら自警団を組織し素手で戦うべきです。それが9条を守る側の矛盾の無い主張ではないでしょうか。
その様な素手の覚悟を抜きに、マルクスの言う国境無き(国家間戦争の無い)未来社会を展望することは出来ないのではないかと思うのです。
そんな意味でも、9条は世界史的にも未来社会を示唆する貴重な条文であり、一字一句変えてはならないとも思う訳です。
駒ヶ岳
by turnipman
| 2015-11-01 12:35
| 頑張らないけど諦めない