2015年 09月 20日
民主主義が止まらない |
(PS:追加あり)
戦争法案が19日未明、何が何だか分からぬうちに参議院で可決された。政府与党は何が何でも運動が盛り上がる連休前に決めようとしたようだ。
今回私は怒るよりも、実は毎日見ていて面白かった。
3/11以降怒り過ぎて体調が悪くなって、最近では怒ってばかりいて体調悪くしたら、敵の思う壺ではないかと考えるようになった。それで私はできるだけ笑い飛ばそうと心がけている。
戦争法は可決されたけれど、挫折感はない。
60年安保の後のように「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい~♪」と挫折感をセンチメンタルに美化してはならない。70年安保の後の「傘が無い」はもう歌うなと、藤原新也も言っている。
それどころか民主主義が止まらないのだ。
高田健と菱山菜穂子の話は参考になった。「戦争させない9条壊すな総がかり実行委員会」は3つの流れがあった。
大江健三郎氏らの「戦争させない1000人委員会」に自治労や日教組など連合左派が集い、無党派137団体が「首都圏解釈で憲法壊すな実行委員会」に集い、そこに全労連系の「憲法共同センター」が合流したとしている。
政党では民主党から共産党まで、そして無党派までが一緒になっている。その3つの潮流に+シールズやママの会などの個の結集が加わって、大きくは4つの潮流が合わさったことになる。
思い返せばこれまで一緒になることはなかった。60年安保にも70年安保にもなかったことだ。オール左派の結集、こんなワクワクし面白いのは初めてのことだ。なんか終わったというより何かが始まったような気さえする。
♪アカシアの雨に打たれてこのまま笑いたい~ 夜が明ける~ 日が登る~♪ なのだ。
「憲法違反で政策的にもめちゃくちゃなこの法案は、廃案しかない。そして、どんなことがあっても、民主主義は終わんないんだ。主権在民という言葉が信じられるんだったら、もう一回、何かできるでしょう? 絶対あきらめねーぞ!」(By「SEALDs」奥田愛基さん)
「私たちの民主主義を奪うものたちに、心から今、戦いますの気持ちを広げていきましょう。忘れないで下さい。私たちの父や母や、そのまた父や母が、一生懸命、育ててきた民主主義なのです。一部のあいつらのために、踏み潰されてたまるもんか。
政権与党はもとより、次世代、元気、改革のすべての議員を落としましょう。あいつらが全てを破壊した。民主主義のテロリストなんだ。あいつらを越えていこう。そして誰も犠牲にしない社会をつくっていこう。今日から新しい戦いが始まるぞ」(By落合恵子さん)
安全保障関連法 合憲性巡り裁判へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150919/k10010241581000.html
そして次の参議院選挙で、戦争法案に賛成した議員の落選運動が始まっている。
安倍首相の「憲法破壊」を許した自民党と大メディアの運命
2015年9月19日 日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/164225
「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけます
2015年9月19日 日本共産党中央委員会幹部会委員長 志位和夫
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2015/09/20150919-yobikake.html
ただ日本はズルズル体質のままだと、簡単に戦争に取り込まれるので注意しよう。
自衛隊は中東に派遣される。中国や北朝鮮の脅威論は、戦争法成立のための煽り目的で、全く関係が無いと今国会で政府側も白状している。派遣されるのは中東(もしくはアフリカ)。アメリカの泥沼化した侵略戦争の尻拭いとして派遣される。アメリカは肥大化した軍事費の削減と、侵略戦闘後の‟治安維持活動“にお手上げ状態なので、それを日本の自衛隊にさせようとしているのだ。
正規軍による瞬間勝利はアメリカのお家芸だ。しかし現代の戦争は国家間戦争ではなく国境なき戦争であることを、彼らはまだ理解できないようだ。敵は背後からも来るし内部からも来る。平定後の‟治安維持活動”こそ困難で膨大な経費を伴い、アメリカ兵の帰国後の自殺やPTSDは大きな社会問題になっている。その肩代わりを自衛隊にさせようということだ。あの大義なき口実で10万人以上殺戮したイラク侵略戦争の後始末を、自衛隊にさせようということだ。それだけのことだ。その見返りに安倍日本会議一派は、憲法を変え戦前の日本を取り戻すことを、アメリカと裏取引したのだろう。
シュミレーションしよう。
まず海外で紛争に巻き込まれ、テロの対象と見なされ自衛隊員が死ぬ。テロに屈するな! 反撃しろ! 殺っちまえ! と一気に国内で戦争モードが高まる。マスコミに世論操作され、憲法を変えろと言う声が沸き起こる。NHKや読売が普通と思っている人達や、反知性の140字以上思考できないネトウヨのバカ共は簡単に舞い上がるだろう。
中国脅威論は煽りが目的で日中戦争は起こり得ないが、小尖閣、青島、北方領土問題で小競り合いを敢えて起こし戦意高揚させる。そして満州事変のようなでっち上げ事件を起こし、憲法を変え常時海外で戦争できる国(アメリカの先兵隊だが)にする。
やがて後世の歴史家は、後藤健二、湯川遥菜氏の殺害事件は序章だったと記すだろう。
まさか、、と思うなかれ。前の戦争でもまさか300万人が、まさかアジアで2000万人が死ぬとは誰も思っていなかった。何も心配せずバーゲンセールで浮き浮きして暮らしていたのだ。戦争が終わって浦島太郎のようにポカンとして、「知らなかったんだからしょうがない」「命令に逆らえなかったんだから」と、誰も責任を取らずズルズルとやり過してきた国民だったことを忘れてはならない。
繰り返す。戦争を始めるのは簡単なことだ。
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」 byヘルマン・ゲーリング
■参照: “何故この国は外圧によってしか変われないのか” Ⅱ
http://turnipman.exblog.jp/17341685/
つい興奮してまた怒りが込み上げる寸前でした。抑えましょう(笑)。いや、そんなことより、楽しい衝撃情報発見を書くつもりだったのです。(しっかし怒るとデアル調、楽しくなるとデスマス調、分りやすいですね。)
前回の「夏の旅の終わりにⅡ」で、若者たちの集会で自分たちの言葉で話すのを見て、民主主義の進化(深化)を感じ嬉しく思ったなどと書きましたが、補足説明せねばなりません。
SEALDsとキリスト教左派 http://togetter.com/li/873269
ネトウヨのおバカさんたちが、シールズの中心メンバーは出身高校が同じで、SNSで繋がっていたのではないと得意げに拡散しているのがあって、そんなの関係ねーだろー、何だっていいじゃんか、と思いつつ読んでいたら面白いことが分かった。
中心メンバーの奥田愛基(明治学院)、本間信和(筑波大)、名スピーチで伝説となった寺田ともか(関西学院大)など、キリスト教愛真高等学校出身とされています。
それが事実としても、キリスト教大いに結構で何の問題もない。その愛真高校は根県の山の中にある小さな全寮制の高校なのだそうです。私が大発見で嬉しかったというのは、そこにはテレビが無く一般の雑誌も置いていないということでした。
素晴らしい。涙が出るほど素晴らしい。テレビを捨てて山にこもっている私は、若かりし頃の親友達と巡り合えた気分がしました。彼らは多感な青年期に、テレビに汚染されず読売などに洗脳されることはなかった。あの完璧に自らが考え自らの言葉を語る姿は、そこで培われたものに違いないと直感しました。
彼らのTVに汚染されない懐かしい日本語が、TV漬けだった他の若者たちに新鮮に受け止められ、共感が広がった。そういう意味での民主主義の進化(深化)と捉えることができます。
更にあの生活教育で名高い和光学園高校の人達も何人かいるのです。ウ~ン、素晴らしすぎませんか♪ かつて70安保の後で笠木透達の歌詞を聴いたときも衝撃を受けました。岐阜県恵那地方の土着の自分の言葉が素晴らしかった。恵那地方は盆地で戦後生活綴り方教育のメッカであり、彼らはその教え子達だったのです。
やはりズルズル体質を脱却し、無責任の体系を超克するのは、事実をありのままに見つめ自分の言葉で考える教育運動は大切でした。そのような言語こそ、今後も民主化の深度を測るバロメーターになるでしょう。
2015安保闘争は、60年、70年と比べれば今のところ規模は小さいと言われます。しかし政党、団体、市民運動、更に若者、ママ、高齢者、学者、文化人、芸能人まで、諸階層が意見の違いを乗り越え、一つにまとまったのは初めての出来事です。
さらに立ちあがった若者達の民主主義の質の変化が注目されます。
80年代後半以降、「言葉を失った若者たち」と言われ、不安定雇用が広がる中で引きこもりやニートが増え、自己責任だと言われ、KYが流行語になり、98年以降は自殺者年3万人超が続き、若者はNetのバーチャル空間に埋没したかのように見えました。
しかし一方では、戦後70年間、宗教の教育や民主的な教育が地下水のように脈々と続けられていたのです。そこからテレビやバーチャルな空間から自立した若者たちも育っていった。
そんな若者達が一早く警鐘を鳴らし立ちあがったのは、今回突然変異が起きたからではなく、何か奇跡が起きたからでもない。総がかりの菱山菜穂子さんの話では、中学の頃のイラク戦争で目覚めている。そして2011以降の原発反対運動、秘密保護法、集団的自衛権に反対する運動の中で、はっきりした若者の声を上げるようになった。また3/11の頃小学生~高校生だった人達が、今社会の矛盾に気がつき声を上げている。もっと溯れば、そこに戦後から続いている教育運動の影響があったということです。
周囲が驚いたのは、それがテレビ言語ではなく自分達のリアル言葉だったということです。そして火花は燎原の火となって広がった。・・と感じるのは私の買被り過ぎでしょうか。
確かに個の結集の運動がそのまま大きくなることはないでしょうし、今後どうなるか分かりません。しかし彼らに挫折感や悲壮感の欠片もないのが嬉しい。そこが60年安保とも70年安保とも違っています。彼らは「アカシアの雨に打たれて」は歌わない、「傘が無い」は歌わないでしょう。
歴史はらせん状に進むと言われます。戦後70年、紆余曲折を経て民主主義の質が進化(深化)した。そういう視点に立てば、もう一つの取り返すべき日本が見えてくるようです。
9/18串本だまっと連有志による、黙って立ち尽くす行動。
写真届きました。なんかいい感じです。
戦争法案が19日未明、何が何だか分からぬうちに参議院で可決された。政府与党は何が何でも運動が盛り上がる連休前に決めようとしたようだ。
今回私は怒るよりも、実は毎日見ていて面白かった。
3/11以降怒り過ぎて体調が悪くなって、最近では怒ってばかりいて体調悪くしたら、敵の思う壺ではないかと考えるようになった。それで私はできるだけ笑い飛ばそうと心がけている。
戦争法は可決されたけれど、挫折感はない。
60年安保の後のように「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい~♪」と挫折感をセンチメンタルに美化してはならない。70年安保の後の「傘が無い」はもう歌うなと、藤原新也も言っている。
それどころか民主主義が止まらないのだ。
高田健と菱山菜穂子の話は参考になった。「戦争させない9条壊すな総がかり実行委員会」は3つの流れがあった。
大江健三郎氏らの「戦争させない1000人委員会」に自治労や日教組など連合左派が集い、無党派137団体が「首都圏解釈で憲法壊すな実行委員会」に集い、そこに全労連系の「憲法共同センター」が合流したとしている。
政党では民主党から共産党まで、そして無党派までが一緒になっている。その3つの潮流に+シールズやママの会などの個の結集が加わって、大きくは4つの潮流が合わさったことになる。
思い返せばこれまで一緒になることはなかった。60年安保にも70年安保にもなかったことだ。オール左派の結集、こんなワクワクし面白いのは初めてのことだ。なんか終わったというより何かが始まったような気さえする。
♪アカシアの雨に打たれてこのまま笑いたい~ 夜が明ける~ 日が登る~♪ なのだ。
「憲法違反で政策的にもめちゃくちゃなこの法案は、廃案しかない。そして、どんなことがあっても、民主主義は終わんないんだ。主権在民という言葉が信じられるんだったら、もう一回、何かできるでしょう? 絶対あきらめねーぞ!」(By「SEALDs」奥田愛基さん)
「私たちの民主主義を奪うものたちに、心から今、戦いますの気持ちを広げていきましょう。忘れないで下さい。私たちの父や母や、そのまた父や母が、一生懸命、育ててきた民主主義なのです。一部のあいつらのために、踏み潰されてたまるもんか。
政権与党はもとより、次世代、元気、改革のすべての議員を落としましょう。あいつらが全てを破壊した。民主主義のテロリストなんだ。あいつらを越えていこう。そして誰も犠牲にしない社会をつくっていこう。今日から新しい戦いが始まるぞ」(By落合恵子さん)
安全保障関連法 合憲性巡り裁判へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150919/k10010241581000.html
そして次の参議院選挙で、戦争法案に賛成した議員の落選運動が始まっている。
安倍首相の「憲法破壊」を許した自民党と大メディアの運命
2015年9月19日 日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/164225
「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現をよびかけます
2015年9月19日 日本共産党中央委員会幹部会委員長 志位和夫
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2015/09/20150919-yobikake.html
ただ日本はズルズル体質のままだと、簡単に戦争に取り込まれるので注意しよう。
自衛隊は中東に派遣される。中国や北朝鮮の脅威論は、戦争法成立のための煽り目的で、全く関係が無いと今国会で政府側も白状している。派遣されるのは中東(もしくはアフリカ)。アメリカの泥沼化した侵略戦争の尻拭いとして派遣される。アメリカは肥大化した軍事費の削減と、侵略戦闘後の‟治安維持活動“にお手上げ状態なので、それを日本の自衛隊にさせようとしているのだ。
正規軍による瞬間勝利はアメリカのお家芸だ。しかし現代の戦争は国家間戦争ではなく国境なき戦争であることを、彼らはまだ理解できないようだ。敵は背後からも来るし内部からも来る。平定後の‟治安維持活動”こそ困難で膨大な経費を伴い、アメリカ兵の帰国後の自殺やPTSDは大きな社会問題になっている。その肩代わりを自衛隊にさせようということだ。あの大義なき口実で10万人以上殺戮したイラク侵略戦争の後始末を、自衛隊にさせようということだ。それだけのことだ。その見返りに安倍日本会議一派は、憲法を変え戦前の日本を取り戻すことを、アメリカと裏取引したのだろう。
シュミレーションしよう。
まず海外で紛争に巻き込まれ、テロの対象と見なされ自衛隊員が死ぬ。テロに屈するな! 反撃しろ! 殺っちまえ! と一気に国内で戦争モードが高まる。マスコミに世論操作され、憲法を変えろと言う声が沸き起こる。NHKや読売が普通と思っている人達や、反知性の140字以上思考できないネトウヨのバカ共は簡単に舞い上がるだろう。
中国脅威論は煽りが目的で日中戦争は起こり得ないが、小尖閣、青島、北方領土問題で小競り合いを敢えて起こし戦意高揚させる。そして満州事変のようなでっち上げ事件を起こし、憲法を変え常時海外で戦争できる国(アメリカの先兵隊だが)にする。
やがて後世の歴史家は、後藤健二、湯川遥菜氏の殺害事件は序章だったと記すだろう。
まさか、、と思うなかれ。前の戦争でもまさか300万人が、まさかアジアで2000万人が死ぬとは誰も思っていなかった。何も心配せずバーゲンセールで浮き浮きして暮らしていたのだ。戦争が終わって浦島太郎のようにポカンとして、「知らなかったんだからしょうがない」「命令に逆らえなかったんだから」と、誰も責任を取らずズルズルとやり過してきた国民だったことを忘れてはならない。
繰り返す。戦争を始めるのは簡単なことだ。
「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」 byヘルマン・ゲーリング
■参照: “何故この国は外圧によってしか変われないのか” Ⅱ
http://turnipman.exblog.jp/17341685/
つい興奮してまた怒りが込み上げる寸前でした。抑えましょう(笑)。いや、そんなことより、楽しい衝撃情報発見を書くつもりだったのです。(しっかし怒るとデアル調、楽しくなるとデスマス調、分りやすいですね。)
前回の「夏の旅の終わりにⅡ」で、若者たちの集会で自分たちの言葉で話すのを見て、民主主義の進化(深化)を感じ嬉しく思ったなどと書きましたが、補足説明せねばなりません。
SEALDsとキリスト教左派 http://togetter.com/li/873269
ネトウヨのおバカさんたちが、シールズの中心メンバーは出身高校が同じで、SNSで繋がっていたのではないと得意げに拡散しているのがあって、そんなの関係ねーだろー、何だっていいじゃんか、と思いつつ読んでいたら面白いことが分かった。
中心メンバーの奥田愛基(明治学院)、本間信和(筑波大)、名スピーチで伝説となった寺田ともか(関西学院大)など、キリスト教愛真高等学校出身とされています。
それが事実としても、キリスト教大いに結構で何の問題もない。その愛真高校は根県の山の中にある小さな全寮制の高校なのだそうです。私が大発見で嬉しかったというのは、そこにはテレビが無く一般の雑誌も置いていないということでした。
素晴らしい。涙が出るほど素晴らしい。テレビを捨てて山にこもっている私は、若かりし頃の親友達と巡り合えた気分がしました。彼らは多感な青年期に、テレビに汚染されず読売などに洗脳されることはなかった。あの完璧に自らが考え自らの言葉を語る姿は、そこで培われたものに違いないと直感しました。
彼らのTVに汚染されない懐かしい日本語が、TV漬けだった他の若者たちに新鮮に受け止められ、共感が広がった。そういう意味での民主主義の進化(深化)と捉えることができます。
更にあの生活教育で名高い和光学園高校の人達も何人かいるのです。ウ~ン、素晴らしすぎませんか♪ かつて70安保の後で笠木透達の歌詞を聴いたときも衝撃を受けました。岐阜県恵那地方の土着の自分の言葉が素晴らしかった。恵那地方は盆地で戦後生活綴り方教育のメッカであり、彼らはその教え子達だったのです。
やはりズルズル体質を脱却し、無責任の体系を超克するのは、事実をありのままに見つめ自分の言葉で考える教育運動は大切でした。そのような言語こそ、今後も民主化の深度を測るバロメーターになるでしょう。
2015安保闘争は、60年、70年と比べれば今のところ規模は小さいと言われます。しかし政党、団体、市民運動、更に若者、ママ、高齢者、学者、文化人、芸能人まで、諸階層が意見の違いを乗り越え、一つにまとまったのは初めての出来事です。
さらに立ちあがった若者達の民主主義の質の変化が注目されます。
80年代後半以降、「言葉を失った若者たち」と言われ、不安定雇用が広がる中で引きこもりやニートが増え、自己責任だと言われ、KYが流行語になり、98年以降は自殺者年3万人超が続き、若者はNetのバーチャル空間に埋没したかのように見えました。
しかし一方では、戦後70年間、宗教の教育や民主的な教育が地下水のように脈々と続けられていたのです。そこからテレビやバーチャルな空間から自立した若者たちも育っていった。
そんな若者達が一早く警鐘を鳴らし立ちあがったのは、今回突然変異が起きたからではなく、何か奇跡が起きたからでもない。総がかりの菱山菜穂子さんの話では、中学の頃のイラク戦争で目覚めている。そして2011以降の原発反対運動、秘密保護法、集団的自衛権に反対する運動の中で、はっきりした若者の声を上げるようになった。また3/11の頃小学生~高校生だった人達が、今社会の矛盾に気がつき声を上げている。もっと溯れば、そこに戦後から続いている教育運動の影響があったということです。
周囲が驚いたのは、それがテレビ言語ではなく自分達のリアル言葉だったということです。そして火花は燎原の火となって広がった。・・と感じるのは私の買被り過ぎでしょうか。
確かに個の結集の運動がそのまま大きくなることはないでしょうし、今後どうなるか分かりません。しかし彼らに挫折感や悲壮感の欠片もないのが嬉しい。そこが60年安保とも70年安保とも違っています。彼らは「アカシアの雨に打たれて」は歌わない、「傘が無い」は歌わないでしょう。
歴史はらせん状に進むと言われます。戦後70年、紆余曲折を経て民主主義の質が進化(深化)した。そういう視点に立てば、もう一つの取り返すべき日本が見えてくるようです。
9/18串本だまっと連有志による、黙って立ち尽くす行動。
写真届きました。なんかいい感じです。
by turnipman
| 2015-09-20 09:49
| 思いのままに