同級会で思ったこと

学生時代のクラス会がお茶の水で開催された。
集まった同級生は、それぞれ定年を超え落ち着いているようだった。というか、出席者は半分に満たず、教員や公務員が多い。公務員自体が他と比較すれば、まだ安定しているということだろう。それは良いことに違いない。
一人ひとりの話が年輪を感じさせ面白い。ただ人に好かれる分別じみた老後の話などは、言いたいことは分るけれど、この70年代より随分不幸な時代になって来たのを見て来て、自分の幸せだけに完結させるのは如何なものかと思った。このような社会を作って来た責任の一端は我々にもあるのだから。
そんな訳で私は、相変わらず“I am not ABE”的な話をして浮いていた(笑)。
出合ったのは1971年。思い返せばあの当時は多様な意見が出されていたと思う。


夕方からは、いつも仲の良かった高校の同級生7人と上野で集まる。
中には20数年ぶりの人もいる。年を重ねあちこち体調に支障をきたしながらも元気で良かった。この連中は個性豊かで、電話などで話すと深まった真剣な会話にもなるのだが、一同に会すると高3の頃の低レベルの茶化し合いになり、爆笑の連続となる。
田舎でガンと闘っている同級生の深刻な話題を交わしながら、この連中ときたら「余命三か月を宣告されても笑って過ごそう」なんて話で盛り上がってしまうのだ。
その当時から一向に関係が成長しない。いやもう成長などできないし、というかしない方が良いのだろう。
出合ったのは1969年、紛争で東大入試が中止になった年だ。意見の違いはあるのは当然として、その違いの言い合いこそがが仲間意識を作っていたように思う。


帰りは新幹線で大阪へ、娘の所に泊まった。
沖縄料理店に入り、例の‟イスラム国“人質事件について、「起きると解っていて起こされたのではないか、満州事変のように、後世の歴史で明らかにされるかもしれない」なんて話をした。
そしたら娘は「若い人たちは今、他の人と違う意見を言えない空気が漂っていて、同調作用みたいなのがある」と言っていた。危機管理に対する集団的同調バイアスのことだ。
1969年から1971年の頃、今振り返ると人と違う意見を言えた時代だったように思う。その多様な人間社会だったところから、ずい分不自由な社会に来てしまったようだ。
自由からの逃走・・・、多様性が無くなり画一化していくのがファッショである。過去を知る年配者はこの際恥も外聞も捨て、若者に向かって‟反ファッショ“を言わなければならないのではないか。二つの同級会から帰ってそんなことを思った。




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夜も更けて聖橋


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by turnipman | 2015-02-26 16:52 | 思いのままに | Trackback | Comments(0)

南海の波打ち際で         記録写真


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