2014年 11月 16日
『古里:失われた村、ターミナル島』 |
本州最南端に位置する潮岬から、ひたすら太平洋が見渡せる。
東の水平線から朝日が昇り、西の水平線に夕日が沈み、東から西に海原は連なる。地球は丸いということを見てとれるようだ。
その沖合を黒潮が踊り、昔からカツオやマグロなどの漁が営まれている。
この潮の流れを追っていくと日本列島を北上し、南下してきた親潮と千葉沖でぶつかり、方向を変えてハワイ方面に向かう。やがて太平洋を横断し、アメリカ西海岸カルフォルニアにたどり着く。
戦前、この紀南の人達がカルフォルニアに‟楽園“を求め、大勢太平洋を渡って行った。
やがて太平洋戦争勃発とともに収容所に隔離され、‟楽園“は消え、彼ら二世三世の記憶の中に思い出だけが残ることになった。
先月、アメリカのドキュメンタリー『古里:失われた村、ターミナル島』の上映会が田並地区であり、それを観て知った。
そこで男達は漁船で、女達は缶詰工場で働いた。
当時のアメリカ人は刺身を食べないけれど、缶詰の魚は重宝がられよく売れた。いわゆるシーチキン(海の鶏肉)を始めて大繁盛する。
毎月満月の頃の1週間は漁ができないので休み網の手入れなどをして、月の3週間ほど漁に出る。それだけで、当時の家1軒建つぐらいの月収入があったという。本土の窮状と比べれば天と地ほどの収入の差だ。
そこの田並郷友会などから故郷へ送金され、田並では銀行や映画館なども建てられ、朝コーヒーの香りがしてパンを焼く臭いがしたという。方田舎にあっても景気が良く、モダンでアメリカ村と呼ばれたそうだ。
神社や寺、協会もあり、日本の年中行事も行われ、クリスマスなどのアメリカ行事も取り組んでいた。言葉は日本語英語紀州弁が混じって、あなた達=ユウだら、私たち=ミーだら、とか可笑しい。
映画を見て特に感じたのは、男も女も垢抜けして幸せそうに映っていたこと。特に子供たちの笑顔が溌剌としていて屈託がない。久しく忘れていたけれど、戦後間も無く50~60年代頃まで、私の故郷福島の田舎にもあった子供たちの顔だ。
港の全景
一方でターミナル島の生活は、慣れない異国にあって過酷だったと証言する人もいる。密航する人達もいたようだ。
周りの米国人からの反日感情も高まり嫉妬の目で見られた。汚い仕事で‟汚れ者“と蔑まされもした。
その分助け合い身内の結束が強まったとも思われる。日本にあった朝鮮部落のように。
それでもあの頃は楽しかった、あそこは楽園だったと回顧し、今でも連絡を取り合っているのは何故だろうか。。
アメリカ西海岸には12万人、その内3千人がカルフォルニア州ターミナル島に住んでいたという。
それが真珠湾攻撃で太平洋戦争勃発後、敵性国民として監視され強制収容所に隔離される。そしてターミナル島の日本人村も消滅した。
戦争という不条理な運命に翻弄されバラバラにされたからこそ、かつての共同体が‟楽園“として心に甦ったのではないだろうか。映画を見終わってふとそのような考えがよぎった。
勝手な思い込みかもしれないが、私は3/11以降、かつての福島が楽園だったと気付かされた。皮肉にも原発事故があったからこそ目覚めたことだ。
‟楽園“は失われてから気づく。そのようなことをターミナル島にも想い重ねると親近感が湧いてくる。
6月にハッピーアイランドフェスティバルin潮岬というのがあった。
ハッピーアイランドとは‟福島“の意味が込められているらしい。テーマソングに♪ハッピーアイランドを探しに行こう♪というフレーズがあった。失われた楽園は心に残るのみ、それを探しに行こうってことだ。
現実には存在しないから、手作りで模索しようということ。そう理解すればステキなフレーズである。
田並の朽ちた映画館を当時のまま再生しようというプロジェクトあり。https://readyfor.jp/projects/tanami_gekijyo
遠くてお手伝いできないけど、ぜひ完成されんことを願う。
PS:
★紀南地方は元々海に向かって開けていた。
1853年ペリーの黒船来航よりも前に、1791年ジョン・ケンドリックの紀伊大島への来航し通商を申し入れたとあり、日米修交記念館が建っている。
戦前、オーストラリアのアラフラ海、南洋のパラオ、ハワイ、カナダのバンクーバー(最近上映の『バンクーバーの朝日』はその頃を映画化)、アメリカ西海岸などに出稼ぎに行った話を聞く。
★1983年アメリカは日系人の強制移住が人種偏見や戦争ヒステリー、そしてルーズベルト大統領の政治的リーダーシップの欠如の結果によるものだと認定した。1988年合衆国政府は日系アメリカ人に対して公式に謝罪。隔離センターで暮らした全ての生存者は、補償として2万ドルと大統領からの謝罪の手紙を受け取った。
今でも慰安婦問題など蒸し返すどこかの政府とは大違いである。
★11/14米ウッズホール海洋研究所は、福島原発事故で放出された放射性物質が、カルフォルニア州北部の沖合で検出されたと発表した。半減期2年で自然界に存在しないセシューム134を検出したため判明。濃度は1㎥当たり2ベクレル以下とのこと。
福島沖を流れる親潮もまたやがてはカルフォルニアにたどり着く。何か因縁でもあろうか。
東の水平線から朝日が昇り、西の水平線に夕日が沈み、東から西に海原は連なる。地球は丸いということを見てとれるようだ。
その沖合を黒潮が踊り、昔からカツオやマグロなどの漁が営まれている。
この潮の流れを追っていくと日本列島を北上し、南下してきた親潮と千葉沖でぶつかり、方向を変えてハワイ方面に向かう。やがて太平洋を横断し、アメリカ西海岸カルフォルニアにたどり着く。
戦前、この紀南の人達がカルフォルニアに‟楽園“を求め、大勢太平洋を渡って行った。
やがて太平洋戦争勃発とともに収容所に隔離され、‟楽園“は消え、彼ら二世三世の記憶の中に思い出だけが残ることになった。
先月、アメリカのドキュメンタリー『古里:失われた村、ターミナル島』の上映会が田並地区であり、それを観て知った。
そこで男達は漁船で、女達は缶詰工場で働いた。
当時のアメリカ人は刺身を食べないけれど、缶詰の魚は重宝がられよく売れた。いわゆるシーチキン(海の鶏肉)を始めて大繁盛する。
毎月満月の頃の1週間は漁ができないので休み網の手入れなどをして、月の3週間ほど漁に出る。それだけで、当時の家1軒建つぐらいの月収入があったという。本土の窮状と比べれば天と地ほどの収入の差だ。
そこの田並郷友会などから故郷へ送金され、田並では銀行や映画館なども建てられ、朝コーヒーの香りがしてパンを焼く臭いがしたという。方田舎にあっても景気が良く、モダンでアメリカ村と呼ばれたそうだ。
神社や寺、協会もあり、日本の年中行事も行われ、クリスマスなどのアメリカ行事も取り組んでいた。言葉は日本語英語紀州弁が混じって、あなた達=ユウだら、私たち=ミーだら、とか可笑しい。
映画を見て特に感じたのは、男も女も垢抜けして幸せそうに映っていたこと。特に子供たちの笑顔が溌剌としていて屈託がない。久しく忘れていたけれど、戦後間も無く50~60年代頃まで、私の故郷福島の田舎にもあった子供たちの顔だ。
港の全景
一方でターミナル島の生活は、慣れない異国にあって過酷だったと証言する人もいる。密航する人達もいたようだ。
周りの米国人からの反日感情も高まり嫉妬の目で見られた。汚い仕事で‟汚れ者“と蔑まされもした。
その分助け合い身内の結束が強まったとも思われる。日本にあった朝鮮部落のように。
それでもあの頃は楽しかった、あそこは楽園だったと回顧し、今でも連絡を取り合っているのは何故だろうか。。
アメリカ西海岸には12万人、その内3千人がカルフォルニア州ターミナル島に住んでいたという。
それが真珠湾攻撃で太平洋戦争勃発後、敵性国民として監視され強制収容所に隔離される。そしてターミナル島の日本人村も消滅した。
戦争という不条理な運命に翻弄されバラバラにされたからこそ、かつての共同体が‟楽園“として心に甦ったのではないだろうか。映画を見終わってふとそのような考えがよぎった。
勝手な思い込みかもしれないが、私は3/11以降、かつての福島が楽園だったと気付かされた。皮肉にも原発事故があったからこそ目覚めたことだ。
‟楽園“は失われてから気づく。そのようなことをターミナル島にも想い重ねると親近感が湧いてくる。
6月にハッピーアイランドフェスティバルin潮岬というのがあった。
ハッピーアイランドとは‟福島“の意味が込められているらしい。テーマソングに♪ハッピーアイランドを探しに行こう♪というフレーズがあった。失われた楽園は心に残るのみ、それを探しに行こうってことだ。
現実には存在しないから、手作りで模索しようということ。そう理解すればステキなフレーズである。
田並の朽ちた映画館を当時のまま再生しようというプロジェクトあり。https://readyfor.jp/projects/tanami_gekijyo
遠くてお手伝いできないけど、ぜひ完成されんことを願う。
当時の田並郷友会 ネクタイ付けてピクニックしている
PS:
★紀南地方は元々海に向かって開けていた。
1853年ペリーの黒船来航よりも前に、1791年ジョン・ケンドリックの紀伊大島への来航し通商を申し入れたとあり、日米修交記念館が建っている。
戦前、オーストラリアのアラフラ海、南洋のパラオ、ハワイ、カナダのバンクーバー(最近上映の『バンクーバーの朝日』はその頃を映画化)、アメリカ西海岸などに出稼ぎに行った話を聞く。
★1983年アメリカは日系人の強制移住が人種偏見や戦争ヒステリー、そしてルーズベルト大統領の政治的リーダーシップの欠如の結果によるものだと認定した。1988年合衆国政府は日系アメリカ人に対して公式に謝罪。隔離センターで暮らした全ての生存者は、補償として2万ドルと大統領からの謝罪の手紙を受け取った。
今でも慰安婦問題など蒸し返すどこかの政府とは大違いである。
★11/14米ウッズホール海洋研究所は、福島原発事故で放出された放射性物質が、カルフォルニア州北部の沖合で検出されたと発表した。半減期2年で自然界に存在しないセシューム134を検出したため判明。濃度は1㎥当たり2ベクレル以下とのこと。
福島沖を流れる親潮もまたやがてはカルフォルニアにたどり着く。何か因縁でもあろうか。
by turnipman
| 2014-11-16 11:20
| 映画・本 etc