2014年 08月 29日
『思い出のマーニー』と『アナと雪の女王』 |
昨日も今日も明日も、雨で仕事休みです。
この夏は雨が多かったのでずっとDVD三昧でしたが、レンタル屋さんで観たいと思うDVDも無くなってきたので、久しぶりに相方と町の映画館に出かけました。
観たのは『思い出のマーニー』。
宮崎駿が引退宣言した後のジブリ新人監督による作品ということで、実はあまり期待していませんでした。
宮崎駿や高畑勲の両巨匠の後釜として作品を作るのはきっとやり難いに違いない、同じような期待に応えるのは難しいだろうし、かといってジブリスピリッツを継承しなくてはならないし、ジブリの底力でそこそこの作品は可能だろうけれど、そのジレンマで大したものは出来ないのではないかと思っていました。
宮崎・高畑氏が直接関わっていないジブリの作品には『猫の恩返し』『ゲド戦記』などがあったけれど、なんというかもう一度観たいとは思えない、自分的にどうでも良い作品でした。
だから『思い出のマーニー』のポスターを見たとたん、昔あった(今もあるのだろうか?)少女漫画雑誌「少女フレンド」的な、どうでも良いお友達ごっこの映画かなと思い込みました(笑)。
ただ宮崎・高畑ウオッチャーとしては、ついでにチェックしとこうぐらいのつもりで観たのです。
ところがどっこい、映画を観ているうちに、そのどうでも良い「少女フレンド」的先入観は、見事に覆されてしまいました。
主人公のアンナは、心を閉ざし無気力で周りに溶け込めない、自分が嫌いな喘息持ちの少女として登場します。
そのアンナが療養先で幻覚のようなマーニーと出会い、仲良くなり心を開いて行く。そこまでは「少女フレンド」的なのですが、しかしそれはお友達ごっこ程度の出会いではなかったのです。いっぱい食わされました。
イギリスのジョーン・ゲイル・ロビンソンの原作も良かったのでしょうが、これは宮崎・高畑氏が描かなかった(描けなかったという人もいます)少女像です。周りから理解されず愛や友情から疎外さたされた今日的な“少女A”。その苦悩や葛藤の記憶のルーツを辿ると・・・ そこにマーニーがいる。
タイトルが『思い出の・・・』となっていた訳が後半になって分ります。次第にアンナが解き放され、観る側も感動に包まれるのでした。
宮崎・高畑氏とは違った切り口でありながら、結果としては家族や社会の背景を描き、真実の愛や友情にたどり着いていく。その辺りはしっかりジブリ路線を継承しているようで、見ごたえのある作品でした。
それは凄腕プロデューサー鈴木敏夫氏の、後継者育成に向けた勘が冴えていたのかもしれません。
この夏は雨が多かったのでずっとDVD三昧でしたが、レンタル屋さんで観たいと思うDVDも無くなってきたので、久しぶりに相方と町の映画館に出かけました。
観たのは『思い出のマーニー』。
宮崎駿が引退宣言した後のジブリ新人監督による作品ということで、実はあまり期待していませんでした。
宮崎駿や高畑勲の両巨匠の後釜として作品を作るのはきっとやり難いに違いない、同じような期待に応えるのは難しいだろうし、かといってジブリスピリッツを継承しなくてはならないし、ジブリの底力でそこそこの作品は可能だろうけれど、そのジレンマで大したものは出来ないのではないかと思っていました。
宮崎・高畑氏が直接関わっていないジブリの作品には『猫の恩返し』『ゲド戦記』などがあったけれど、なんというかもう一度観たいとは思えない、自分的にどうでも良い作品でした。
だから『思い出のマーニー』のポスターを見たとたん、昔あった(今もあるのだろうか?)少女漫画雑誌「少女フレンド」的な、どうでも良いお友達ごっこの映画かなと思い込みました(笑)。
ただ宮崎・高畑ウオッチャーとしては、ついでにチェックしとこうぐらいのつもりで観たのです。
ところがどっこい、映画を観ているうちに、そのどうでも良い「少女フレンド」的先入観は、見事に覆されてしまいました。
主人公のアンナは、心を閉ざし無気力で周りに溶け込めない、自分が嫌いな喘息持ちの少女として登場します。
そのアンナが療養先で幻覚のようなマーニーと出会い、仲良くなり心を開いて行く。そこまでは「少女フレンド」的なのですが、しかしそれはお友達ごっこ程度の出会いではなかったのです。いっぱい食わされました。
イギリスのジョーン・ゲイル・ロビンソンの原作も良かったのでしょうが、これは宮崎・高畑氏が描かなかった(描けなかったという人もいます)少女像です。周りから理解されず愛や友情から疎外さたされた今日的な“少女A”。その苦悩や葛藤の記憶のルーツを辿ると・・・ そこにマーニーがいる。
タイトルが『思い出の・・・』となっていた訳が後半になって分ります。次第にアンナが解き放され、観る側も感動に包まれるのでした。
宮崎・高畑氏とは違った切り口でありながら、結果としては家族や社会の背景を描き、真実の愛や友情にたどり着いていく。その辺りはしっかりジブリ路線を継承しているようで、見ごたえのある作品でした。
それは凄腕プロデューサー鈴木敏夫氏の、後継者育成に向けた勘が冴えていたのかもしれません。
こちらも見るつもりはなかったのですが、町で人と待ち合わせるのに間が空いたので、映画館で暇つぶしでもしようと観たのでした。
個人的な好みではこのポスターのキャラが嫌いです。こんな女性が迫ってきたら(アハハ絶対あり得ないけど)、逃げたいと思います。
ストーリーもただのお姫様ごっこの「少女フレンド」的どうでも良いものでした。何が面白いのかさっぱり伝わってきません。
「真実の愛が氷を解かす」とか言っても、ただの裕福で我儘なお姫様姉妹が、いつの間にか仲良くなりましたとさ、っていう程度の話ではなかったでしょうか。
これがディズニー史上空前の興行成績だとか。こんなお姫様ごっこが、アメリカ文化圏では未だ大衆動員されているのかと思うと、ガックリもしました。
同時に戦後アメリカ一極支配に寄与してきたと言われるディズニー文化が、もはや往年の新鮮味はなくなっていて、マンネリで行き詰まった感すらしました。
新作短編アニメ『ミッキーのミニー救出大作戦』というのが、6分ぐらい同時上映されたのですが、これがまた哀しくなるほど詰らないのです。
荒っぽいけれど間抜けな悪役ピートを、小ずるかしいミッキー達が、寄って集ってイジメて喜ぶという話なのですが、私は悪役ピートの方がまだ人間味溢れているように感じます。
悪役ピートがベトナムやイラクやアフガンやパレスチナの‟敵“のように刷り込まれ、好戦的な子供を大量生産するのに、都合よく製作されているように勘ぐってしまいます。
おっと、興奮して話が逸れてしまった。
『思い出のマーニー』と『アナと雪の女王』とでは‟真実の愛“を語るのなら、月とスッポン、鯨と鰯、雲泥の差があると言いたいのでした。
前者は家族や社会から疎外された苦悩の根源が解き明かされ、‟真実の愛“に辿り着き解放されますが、後者にはそれがまるで無い。
ある日氷らせる能力が身についてしまったとさ、ってな具合で、突然のアクシデントが苦しみの背景であって、人間として深い掘り下げがない、とても残念な作品となっているように思います。
ただアンデルセンの原作で、1957年に旧ソ連で映画化された『雪の女王』は、宮崎駿に唯一とも言える影響を与えた作品だそうです。
その映画は見ていませんので何とも言えませんが、主人公はお姫様姉妹ではなく庶民の女の子と男の子の逸話で、だいぶ内容も違っているようです。
そこには「生命の根源的なテーマを内包している」との解説もありましたが、私は同じ原作でもディズニー作品ではそれらを見出すことができませんでした。
http://www.ghibli-museum.jp/snowqueen/intro/
PS:
昨日宮崎駿氏にアカデミー名誉賞授与の発表がありました。
日本人では1990年黒澤明氏に次いで二人目とのことです。
旧ソ連の『雪の女王』より
by turnipman
| 2014-08-29 21:33
| 映画・本 etc