2014年 08月 10日
戦後日本の白黒映画の夢の跡 Ⅱ |
台風一過です。
今年は梅雨が明けてからも雨が多い。梅雨明け後に降った雨の量が、梅雨時に降った雨の量より多いとか・・ 一体どうなっているのでしょう。
この時期、晴れ間にはあちこち草刈りをしてバタンキューでした。昨日は灯篭舟を作りこのまま盆休みかと思いきや、今日は台風接近で大雨です。
さてと、このところ何で戦後日本映画の名作を見たかと言うと、当時の日本人は戦争をどう感じていたのか、もう一度振り返りたいということもありました。
黒澤明と小津安二郎の作品は、内容も作り方も正反対でしたが、どちらも世界からも高く評価されました。そしてその違いについては様々に解釈されています。
しかしその正反対の作風に共通する同時代性とは何だったのでしょう。そこが私の中で引っ掛かるところでした。
日本は侵略戦争で同朋300万人が亡くなり、アジアでは2000万人が犠牲になり、広島長崎では原爆で数十万人が一度に亡くなり敗戦を迎えました。その直後に、その敗北の悲惨を押し返すかのように、一挙に噴き出した映画の作品群であります。
そこでは、自らの戦争責任は問わずキリスト教的な懺悔はありません。儒学的な人間性善説を信じ、深刻に受け止めず、娯楽に徹して開放的だったように感じられます。
もちろん『羅生門』など人間性悪説を問うような傑作もあるし、新藤兼人のような『原爆の子』以降リアルに迫った作品もあるし、あくまで全てではないのですが、当時脚光を浴び世間から受け入れられた名作映画群の多くは、庶民にカタルシスの作用を与えたのではないかと思われるのです。
この共通した根拠のない楽天主義、それが日本的な‟浄化“の有り様ではなかったでしょうか。
私は福島原発事故以降も感じたのですが、この国の多くは‟反省“が出来ない、そこがドイツとは大きく違うところだと思います。そこがどっから見ても違いすぎるのです。
やっとこの頃、検察審議会が東電元会長らを「起訴相当」という議決だけはしたそうですが、右も左も自分が悪いと思っている人は少ないようです。被害は声を大にして訴えるが、加害には口をつぐむ(または別な話に転嫁する)、戦後も今もあまり変わってはいないのです。そこに日本の民族の古層があるような気がします。
NHK『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか・知の巨人たち 』という優れものをNetで見ました。(お薦めです。)
第1回「原子力 科学者は発言する ~湯川秀樹と武谷三男~」
第2回「鶴見俊輔と『思想の科学』」
第3回 「民主主義を求めて ~政治学者 丸山眞男~」
第4回 二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~ (⇐これだけまだ見れません?)
その中で丸山真男あたりが言っていました。戦後誰も責任をとらない「無責任な体系」というのがあって、上から下へ強者から弱者への「責任の移譲」をする、ドウナツのように責任所在が空洞であるような日本の社会、、、それが現在もまだ続いているのかもしれません。
4度(広島、長崎、ビキニ、福島)被曝しても、無責任で反省できない人が多い、戦後日本の独自の問題として語られる、古くて新しいテーマがそこにあるのでしょう。
マッカーサーが占領軍として日本に来た時に、「民主主義において、アメリカやドイツが45歳ならば、日本は、まだ12歳の少年、ドイツ人は経験を積んだ大人にも関わらず戦争を犯したが、日本人はまだ経験の無い子供だから戦争を起こした」と言ったとのこと。
たしかに原発事故後の対応でも、ドイツと日本ではそれぐらいの精神年齢差はあるように思います。
戦後69年。精神年齢が12歳から止まったままなのか。この頃安倍内閣の漢字も読めない3人衆やらを見ていると、そうかもしれない思ってしまいます。
永遠の思春期民俗・・。
(いや私は、単に他者を批判するつもりはありません。12歳、中学1年生の頃、悪ふざけしてはしゃぎ回って、何一つ反省しないで大人になった、自分の中にもそんな所があることを、今回は白状しときます。また周りもそのような人が多いように見受けられます。)
近代化の一環としての西洋民主主義の視点からそれを批判するのは容易いのです。
しかしそれが島国日本で純粋培養されてきた、長いものに巻かれて誰も責任を問わない方が安心できるという‟知恵“は、長い生活慣習からきていることもまた認めざるをえません。
♪どうせ私を騙すなら騙し続けて欲しかった♪なんて演歌的情緒は、騙された私に責任は無いと甘え、反省しないまま他者から同情されたいと願うところが日本的なのです。
戦後の白黒映画を久しぶりに見ると、その製作スタッフの集中力、熱の入れようが伝わってきます。
黒澤監督は雨だれの跡まで水を撒いて作り、小津監督はアングルごとに部屋の小物の位置までこだわる、細部に渡って人的なものが宿る映像だったのです。
今見るとそこに息苦しさも感じられるのですが、そこには敗戦から立ちあがる活力、生命力、総力を挙げて作る単純な明るさや熱意が、凝縮して込められているようです。
戦後「無責任な体系」の中で真剣に問い詰めれば気が狂うかもしれないし、現在のように自殺者が増え異様な事件が多発していたかもしれない。そんな中で庶民は自己防衛のため、本能的に精神を安定させバランスを保とうとしたのです。
黒澤監督の映画を見て生きる元気をもらい、肩で風切るように映画館を出たのでしょう。また小津監督の映画を見ては家族の大切さに触れ、優しさを求め家路についたことでしょう。
そのことを以て戦後映画は「無責任な体系」から目を逸らし免罪したなどと評してはならない。
免罪したのは政治の分野であり、「無責任な体系」の中で鬱屈した人々を、日本的な浄化の方法で癒し元気づけたのが、戦後日本の白黒映画の傑作群だったと私は思います。
戦後日本の白黒映画の跡を辿りながら今を見つめ直すと、その作品群の個々の良し悪しとは別に、日本は未だそのような無責任体系の社会の中で、永続する民主化の夢の途上にあるように思います。
そんな意味で3/11という第二の敗戦の後で、日本映画に再び良い作品が目立ってきているように思われます。最近の映画をその様な視点で、政治の動きと比較しながら鑑賞しています。
台風が去り満月の夜空です。いつの間にか長文になってしまいました。最後に!
戦後69年、どうでしょうか、私も含め精神年齢が20歳ぐらいには成ったのではないでしょうか。別にそんなことは卑下する必要ないでしょう。
そしたら欧米文化は50代、良いんじゃないの~ 日本は20代で♪
今年は梅雨が明けてからも雨が多い。梅雨明け後に降った雨の量が、梅雨時に降った雨の量より多いとか・・ 一体どうなっているのでしょう。
この時期、晴れ間にはあちこち草刈りをしてバタンキューでした。昨日は灯篭舟を作りこのまま盆休みかと思いきや、今日は台風接近で大雨です。
さてと、このところ何で戦後日本映画の名作を見たかと言うと、当時の日本人は戦争をどう感じていたのか、もう一度振り返りたいということもありました。
黒澤明と小津安二郎の作品は、内容も作り方も正反対でしたが、どちらも世界からも高く評価されました。そしてその違いについては様々に解釈されています。
しかしその正反対の作風に共通する同時代性とは何だったのでしょう。そこが私の中で引っ掛かるところでした。
日本は侵略戦争で同朋300万人が亡くなり、アジアでは2000万人が犠牲になり、広島長崎では原爆で数十万人が一度に亡くなり敗戦を迎えました。その直後に、その敗北の悲惨を押し返すかのように、一挙に噴き出した映画の作品群であります。
そこでは、自らの戦争責任は問わずキリスト教的な懺悔はありません。儒学的な人間性善説を信じ、深刻に受け止めず、娯楽に徹して開放的だったように感じられます。
もちろん『羅生門』など人間性悪説を問うような傑作もあるし、新藤兼人のような『原爆の子』以降リアルに迫った作品もあるし、あくまで全てではないのですが、当時脚光を浴び世間から受け入れられた名作映画群の多くは、庶民にカタルシスの作用を与えたのではないかと思われるのです。
この共通した根拠のない楽天主義、それが日本的な‟浄化“の有り様ではなかったでしょうか。
私は福島原発事故以降も感じたのですが、この国の多くは‟反省“が出来ない、そこがドイツとは大きく違うところだと思います。そこがどっから見ても違いすぎるのです。
やっとこの頃、検察審議会が東電元会長らを「起訴相当」という議決だけはしたそうですが、右も左も自分が悪いと思っている人は少ないようです。被害は声を大にして訴えるが、加害には口をつぐむ(または別な話に転嫁する)、戦後も今もあまり変わってはいないのです。そこに日本の民族の古層があるような気がします。
NHK『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか・知の巨人たち 』という優れものをNetで見ました。(お薦めです。)
第1回「原子力 科学者は発言する ~湯川秀樹と武谷三男~」
第2回「鶴見俊輔と『思想の科学』」
第3回 「民主主義を求めて ~政治学者 丸山眞男~」
第4回 二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~ (⇐これだけまだ見れません?)
その中で丸山真男あたりが言っていました。戦後誰も責任をとらない「無責任な体系」というのがあって、上から下へ強者から弱者への「責任の移譲」をする、ドウナツのように責任所在が空洞であるような日本の社会、、、それが現在もまだ続いているのかもしれません。
4度(広島、長崎、ビキニ、福島)被曝しても、無責任で反省できない人が多い、戦後日本の独自の問題として語られる、古くて新しいテーマがそこにあるのでしょう。
マッカーサーが占領軍として日本に来た時に、「民主主義において、アメリカやドイツが45歳ならば、日本は、まだ12歳の少年、ドイツ人は経験を積んだ大人にも関わらず戦争を犯したが、日本人はまだ経験の無い子供だから戦争を起こした」と言ったとのこと。
たしかに原発事故後の対応でも、ドイツと日本ではそれぐらいの精神年齢差はあるように思います。
戦後69年。精神年齢が12歳から止まったままなのか。この頃安倍内閣の漢字も読めない3人衆やらを見ていると、そうかもしれない思ってしまいます。
永遠の思春期民俗・・。
(いや私は、単に他者を批判するつもりはありません。12歳、中学1年生の頃、悪ふざけしてはしゃぎ回って、何一つ反省しないで大人になった、自分の中にもそんな所があることを、今回は白状しときます。また周りもそのような人が多いように見受けられます。)
近代化の一環としての西洋民主主義の視点からそれを批判するのは容易いのです。
しかしそれが島国日本で純粋培養されてきた、長いものに巻かれて誰も責任を問わない方が安心できるという‟知恵“は、長い生活慣習からきていることもまた認めざるをえません。
♪どうせ私を騙すなら騙し続けて欲しかった♪なんて演歌的情緒は、騙された私に責任は無いと甘え、反省しないまま他者から同情されたいと願うところが日本的なのです。
戦後の白黒映画を久しぶりに見ると、その製作スタッフの集中力、熱の入れようが伝わってきます。
黒澤監督は雨だれの跡まで水を撒いて作り、小津監督はアングルごとに部屋の小物の位置までこだわる、細部に渡って人的なものが宿る映像だったのです。
今見るとそこに息苦しさも感じられるのですが、そこには敗戦から立ちあがる活力、生命力、総力を挙げて作る単純な明るさや熱意が、凝縮して込められているようです。
戦後「無責任な体系」の中で真剣に問い詰めれば気が狂うかもしれないし、現在のように自殺者が増え異様な事件が多発していたかもしれない。そんな中で庶民は自己防衛のため、本能的に精神を安定させバランスを保とうとしたのです。
黒澤監督の映画を見て生きる元気をもらい、肩で風切るように映画館を出たのでしょう。また小津監督の映画を見ては家族の大切さに触れ、優しさを求め家路についたことでしょう。
そのことを以て戦後映画は「無責任な体系」から目を逸らし免罪したなどと評してはならない。
免罪したのは政治の分野であり、「無責任な体系」の中で鬱屈した人々を、日本的な浄化の方法で癒し元気づけたのが、戦後日本の白黒映画の傑作群だったと私は思います。
戦後日本の白黒映画の跡を辿りながら今を見つめ直すと、その作品群の個々の良し悪しとは別に、日本は未だそのような無責任体系の社会の中で、永続する民主化の夢の途上にあるように思います。
そんな意味で3/11という第二の敗戦の後で、日本映画に再び良い作品が目立ってきているように思われます。最近の映画をその様な視点で、政治の動きと比較しながら鑑賞しています。
台風が去り満月の夜空です。いつの間にか長文になってしまいました。最後に!
戦後69年、どうでしょうか、私も含め精神年齢が20歳ぐらいには成ったのではないでしょうか。別にそんなことは卑下する必要ないでしょう。
そしたら欧米文化は50代、良いんじゃないの~ 日本は20代で♪
by turnipman
| 2014-08-10 23:29
| 映画・本 etc