福島と和歌山の紙一重の“民度”

ここでは原発の安全神話を信じて、人命よりも原発マネーの恩恵を優先したところを民度が低い、その逆を高いとします。


先日の春の宴でのこと。
福島の原発を受け入れた住民は、原発マネーで恩恵を受けてきた。事故が起きたからって文句を言う筋合いはない・・」みたいなことを言っているお方がいた。
酒のみの論争はたいがいつまらないけれど、何を言いたいのか分からない割には、本音が出てくるから面白い。
どうやら原発事故は自業自得、福島は民度が低く和歌山は民度が高かったので原発を受け入れなかった、と言いたいようだ。

はたしてそうだろうか。

福島の民は民度が低いと言われれば、確かにその通りとしか言いようがない。
原発事故が起きても原発推進の自民党を第一党に投票する県民だ。
私ですら会津の同級生には「長州安倍政権を支持して、お前らバガでねえのが!」と冗談半分に言っている。

しかし「民度が低く安全神話に騙された県民が悪い」と決めつけてしまうなら、「だから何だ」と問い返したくなる。
民度が低く騙されたのが悪いとしても、そもそも騙した方はもっと悪いのではないか。オレオレ詐欺に引っ掛かった人はバカで自業自得と言う前に、騙した方はもっと悪いという話ではなかったのか。


和歌山で原発を拒むことができたのは何故か? それは果して民度が高かったせいだろうか。
和歌山の4地方5ヵ所で原発設立計画があり、何処でも大変な反対運動があった。どこか一つ建設されていれば他でも次々作られる可能性があった。
特に日高では県も町議会も原発推進を決定する中で、関電からお金も振り込まれ土地も確保して、陸上調査を終えて海上調査をするところまで進んでいた。

『・・和歌山の記録』によれば、1988年日高町・比井崎漁協の臨時総会が天王山だったと記されている。
推進派理事10名、反対派理事2名。会場の外は反対派500人が見守る中、この少数の反対派の理事と組合員による決死の流会戦術で、会場は大いに揉め混乱し、理事総辞職宣言してやり直しとなった。

「たった二人の反乱」、物語にするならドラマチックな展開である。

その会場に県の仕事で居合わせたという方に尋ねる機会があった。
その方は「その出来事が決定的ではなく、脱原発を決めたのは民度だったと思う」とのことだった。
確かに機動隊が導入された後、多数決で採決が可能であったにもかかわらず組合長が総辞職を宣言した背景には、これ以上揉めて今後の地域の絆を壊してまで強行したくないと思わせるに足る、民意の圧力があったのも確かだろう。

その後も日高では執拗に推進の動きが続く。原発反対の滋賀町長が誕生したのは1990年であり、それをもって20数年続いた原発導入問題は収束している。
1988年漁協の少数派の「反乱」がなければ、そこで原発は導入されたかも知れないが、「反乱」がなくても後に阻止できたのかもしれない。そんな高い民意が和歌山に育っていたと彼は言いたかったのだろう。


しかしそうなのだろうかと思う。

その20数年の間には、1979年スリーマイル事故があり、1986年チェルノブイリ事故が起きている。そこで和歌山が学んだ意義は大きいのではないだろうか。
日高漁協臨時総会の出来事はチェルノブイリの2年後の話なのだ。
福島第一原発が稼働したのは1971年である。原発計画が進められたのは50年代末から60年代のことだった。それに対して和歌山の原発計画は60年代末から80年代にかけて表面化している。

「たら」「れば」は歴史上無駄かもしれないけれど、和歌山と福島の原発設立計画の年代がもし逆であったと仮定したらどうだろうか。原発事故は和歌山で先に起きる可能性もあったのではないか。

だから私は福島の民度が低くて和歌山が高いとは単純には思えない。
原発推進の自民党を第一党に投票する県民は和歌山も同じである。
この3月福島県内59市町村すべてで原発全基廃炉の意見書や決議を採択している。原発を拒み続けた和歌山で3/11以降その様な反原発に関わる決議は見られない。どちらの民度が高いのか歴史の皮肉を感じざるをえない。


『原発を拒み続けた和歌山の記録』の著者の方と話す機会があり、福島では原発を受け入れて、和歌山では拒むことができたのは何故か?と率直に尋ねたことがあった。
それは色々要因は考えられるけど、結論としては福島も和歌山も紙一重だったというご返事だった。




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庭の草花たち


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Commented by jj111iii2016 at 2016-03-15 12:49
民度というくくりにしてしまうと、民主主義か共産主義かと言ってるのと同じ。
どちらも独裁者を産むし、少数意見が尊重されないのも同じ。
では県民性というとどうなのか?
これも恣意的な価値観だし、どこの都道府県も日本の支配層になれるはずもないし…。
紙一重というか、たまたまの巡り合わせだったのか、和歌山県は事故以来、脚光を浴びたとは思います。賛美する声もありました。一方で苦々しく思っている層もいたし、県内にもいるでしょう。
なにか目に見えない力が働いたようにしか見えませんね、お伊勢さまかな?皇室の意向があったのか?
Commented by turnipman at 2016-03-18 07:21
jj111iii2016さん、そうですねやっぱり紙一重だったように思いますね。
強いて言えば、紀伊半島は隆起した地勢でほとんど平地が無く漁業依存度が高く海を守ろうとする意識は高いように思えます。それぐらいかなあ。
お伊勢様? そう言えば三重県も原発を何度も阻止してます。まあ、九九島の浪江町も阻止したした地域ですから、いろいろでしょう。
by turnipman | 2014-04-10 13:36 | 頑張らないけど諦めない | Trackback | Comments(2)

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