2012年 10月 07日
お墓参り |
東京での同級会から70年代の話になってしまったが、旅行の続きです。
同級会の翌日8/26AM、私は元会社の同僚U君と上司だったYaさんのお墓参りに行った。
その日も朝から焼けるような日差しだった。杉並にあるお寺に行って住職さんに尋ねたら、すぐにお墓の場所は分かった。奥さんとは連絡の手違いでお会いすることが出来なかったが、前日に来てくれたらしく花がきれいに活けられていた。
不義理にしてて気に掛っていたけれど、亡くなられて3年ぶりにお墓に参ることができた。しばし合掌。炎天下の蝉の声の中、Yaさんの笑顔が思い浮かんでくる。
あの頃の経緯 ⇒ 1991年Ⅲ
会社での組合活動を面白可笑しく書くこともできるが、現役の人もいるので今は書きたくない。もっと後でまとめようと思う。
当時は国鉄が分割民営化され、連合など労線が右傾化していく。労基法の規制緩和と不安定雇用の増大、M&Aやリストラが横行するようになっていた。その後のH社の歴史の変遷は投機型の新自由主義に翻弄されていった歴史でもある。
アットホームでヤワな組合ではあったが、私達はただ外資系の多国籍企業の買収劇を前に逃亡はないだろうと、負け戦と知りながら組合の重要性を訴えていた。
同級会の翌日8/26AM、私は元会社の同僚U君と上司だったYaさんのお墓参りに行った。
その日も朝から焼けるような日差しだった。杉並にあるお寺に行って住職さんに尋ねたら、すぐにお墓の場所は分かった。奥さんとは連絡の手違いでお会いすることが出来なかったが、前日に来てくれたらしく花がきれいに活けられていた。
不義理にしてて気に掛っていたけれど、亡くなられて3年ぶりにお墓に参ることができた。しばし合掌。炎天下の蝉の声の中、Yaさんの笑顔が思い浮かんでくる。
あの頃の経緯 ⇒ 1991年Ⅲ
会社での組合活動を面白可笑しく書くこともできるが、現役の人もいるので今は書きたくない。もっと後でまとめようと思う。
当時は国鉄が分割民営化され、連合など労線が右傾化していく。労基法の規制緩和と不安定雇用の増大、M&Aやリストラが横行するようになっていた。その後のH社の歴史の変遷は投機型の新自由主義に翻弄されていった歴史でもある。
アットホームでヤワな組合ではあったが、私達はただ外資系の多国籍企業の買収劇を前に逃亡はないだろうと、負け戦と知りながら組合の重要性を訴えていた。
by turnipman
| 2012-10-07 21:55
| 残土録