2012年 02月 22日
ちょっと休憩 |
そんな経緯がありまして家族と接した時間が少なかった訳で、伝えたいことはボケる前に(アハハもうボケているかも)今のうちに伝えておこうというのが当ブログの1つの趣旨です。
2年前の1月に仕事中2階の屋根から落下して、奇跡的にかすり傷だけで済んだことがありました。その時、人は簡単にいつ何時死ぬか分からんわいと思ったものです。
あ、生かされたと気付くと急に恥も外聞も無くなり、ある意味恐いものが無くなったようで、今伝えたいことは今伝えておこうと思い立った次第です。
“生老病死”をお釈迦様は生まれながらにして持つ人の苦しみと仰ったそうですが、お釈迦様は4つの苦しみを、苦にするなと説いていたように私は思うのですがどうでしょう。
マルクスはこの世に“絶対的なものは無い”とどっかで書いていました。全ては変移流転の過程にあって、生なる観念は客観的な土台(特に経済)の変化に決定されるというようなこと。こちらも気にせず楽天的に生きよと説く、その考えは好きです。
しかし、この世に絶対的なものが1つあります。
生老病を経て確かに人は死ぬと言うこと、これだけは誰もが認める絶対的な命題です。
“生老病死”は早い遅いや程度の差はあれ、万人に自ずと向こう側からやってくる。
苦にしない気にしないで自然体で受け止めよと、私の釈迦とマルクスは同じことを言っているようです。
だからこそ“光りあるうちに光の中を歩め”、生あるうちに伝えたいことを伝え合いたいと思います。
2年前の1月に仕事中2階の屋根から落下して、奇跡的にかすり傷だけで済んだことがありました。その時、人は簡単にいつ何時死ぬか分からんわいと思ったものです。
あ、生かされたと気付くと急に恥も外聞も無くなり、ある意味恐いものが無くなったようで、今伝えたいことは今伝えておこうと思い立った次第です。
“生老病死”をお釈迦様は生まれながらにして持つ人の苦しみと仰ったそうですが、お釈迦様は4つの苦しみを、苦にするなと説いていたように私は思うのですがどうでしょう。
マルクスはこの世に“絶対的なものは無い”とどっかで書いていました。全ては変移流転の過程にあって、生なる観念は客観的な土台(特に経済)の変化に決定されるというようなこと。こちらも気にせず楽天的に生きよと説く、その考えは好きです。
しかし、この世に絶対的なものが1つあります。
生老病を経て確かに人は死ぬと言うこと、これだけは誰もが認める絶対的な命題です。
“生老病死”は早い遅いや程度の差はあれ、万人に自ずと向こう側からやってくる。
苦にしない気にしないで自然体で受け止めよと、私の釈迦とマルクスは同じことを言っているようです。
だからこそ“光りあるうちに光の中を歩め”、生あるうちに伝えたいことを伝え合いたいと思います。
by turnipman
| 2012-02-22 22:06
| 思いのままに