2010年 10月 07日
1998年 Ⅱ |
時代の変わり目なんてこの辺りどの年でも良い。小泉内閣が始まり、9/11テロのあった '01年でもいいし、派遣労働法が製造業にも解禁された、イラク戦争の始まった '03年でもいい。
成り行き上 '98年としたら、もう一つ大事なことを思い出した。Windows98が世に出たことだ。そして携帯電話がポケベルに替って普及し始めたこと。ここから時代は携帯型のNETが可能になり、職場、家庭、個人に至る隅々まで浸透していく。
当時の私は、今日のような引き籠り型のバーチャルリアリティ(「仮想現実」とか言うらしい)肥大化症候群の文化・人間関係になるとは予想してませんでした。
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'98年私は名古屋の大手企業の支店に単身赴任していた。そこでパソコンや携帯の急激な変化に対応した管理手配、人員の配置、資料の作成などをしていたのです。
みなし労働とかフレックスタイム制が導入され、タイムカードが無く大まかな縛りだけで何時間働いても良い、自主申告(ある意味“相互監視”)と成果主義というスタイルであった。通達文書があらゆる部署からワンサカNETで来て、読んで手配するだけで午前中が終わる。散歩したりしてチンタラ仕事をして帰りは深夜になる。
何故かそのころからか脱出願望が強くなり、毎月1~2回山に登るようになった。山に行かない休日はマンションを飛び出し、バイクで公園や川など木のあるところを巡る。
仕事中も頻繁に会社を抜け出しては、街路樹を眺めて散歩したものだ。帰ると部下のOLから「まったくもう!」という目で見られ、笑ってゴマカスのが日課だった。回りは面白く良い人たちばかりだったから、それも許されたのだろう。それはそれで楽しかったのですが。
脱出願望が強くなったのは、理屈ではなくて生理的な拒否反応だったと思う。何に対しての拒否反応だったのか、この頃やっと分かってきた気がします。経済問題とかではなく衣食住の問題であったようだ。
毎日朝風呂に入り、クリーニング仕立てのYシャツにネクタイ、雑菌の無いようなスタイルに馴染めない。家では作務衣など着て過ごす。山へ行って泥にまみれたいと思う。
何処で食べても食事が不味い(名古屋のみなさんすみません)。味付けがガサツ、農薬漬け、冷凍もんばかり・・・。冷蔵庫が死体安置所だと気付いたのもこの頃だ。
一見奇麗だが、電磁波の飛び交うコンクリートに囲まれたようなオフィスとマンション。マウスの実験結果は、木の箱で育てる方がコンクリートの箱で育てるより遙かに長生きする。
ど田舎に木の家を建てようと、そうでないと自分はだめになると思ったものです。
小森山に“火の鳥”を見た
成り行き上 '98年としたら、もう一つ大事なことを思い出した。Windows98が世に出たことだ。そして携帯電話がポケベルに替って普及し始めたこと。ここから時代は携帯型のNETが可能になり、職場、家庭、個人に至る隅々まで浸透していく。
当時の私は、今日のような引き籠り型のバーチャルリアリティ(「仮想現実」とか言うらしい)肥大化症候群の文化・人間関係になるとは予想してませんでした。
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'98年私は名古屋の大手企業の支店に単身赴任していた。そこでパソコンや携帯の急激な変化に対応した管理手配、人員の配置、資料の作成などをしていたのです。
みなし労働とかフレックスタイム制が導入され、タイムカードが無く大まかな縛りだけで何時間働いても良い、自主申告(ある意味“相互監視”)と成果主義というスタイルであった。通達文書があらゆる部署からワンサカNETで来て、読んで手配するだけで午前中が終わる。散歩したりしてチンタラ仕事をして帰りは深夜になる。
何故かそのころからか脱出願望が強くなり、毎月1~2回山に登るようになった。山に行かない休日はマンションを飛び出し、バイクで公園や川など木のあるところを巡る。
仕事中も頻繁に会社を抜け出しては、街路樹を眺めて散歩したものだ。帰ると部下のOLから「まったくもう!」という目で見られ、笑ってゴマカスのが日課だった。回りは面白く良い人たちばかりだったから、それも許されたのだろう。それはそれで楽しかったのですが。
脱出願望が強くなったのは、理屈ではなくて生理的な拒否反応だったと思う。何に対しての拒否反応だったのか、この頃やっと分かってきた気がします。経済問題とかではなく衣食住の問題であったようだ。
毎日朝風呂に入り、クリーニング仕立てのYシャツにネクタイ、雑菌の無いようなスタイルに馴染めない。家では作務衣など着て過ごす。山へ行って泥にまみれたいと思う。
何処で食べても食事が不味い(名古屋のみなさんすみません)。味付けがガサツ、農薬漬け、冷凍もんばかり・・・。冷蔵庫が死体安置所だと気付いたのもこの頃だ。
一見奇麗だが、電磁波の飛び交うコンクリートに囲まれたようなオフィスとマンション。マウスの実験結果は、木の箱で育てる方がコンクリートの箱で育てるより遙かに長生きする。
ど田舎に木の家を建てようと、そうでないと自分はだめになると思ったものです。
小森山に“火の鳥”を見た
by turnipman
| 2010-10-07 14:40
| 残土録