小学校の同窓会幹事から、昨年の同窓会の“酒池肉林”のDVDが送られてきて、懐かしく笑ってしまった。
そして有志で積み立てをして、こちらの南海地方にも旅行してみたいとのことだった。 また兄弟会も、今年はこちらに集まってみようという話である。 この第2の故郷に家族3人移り住んだのは1991年4月1日。その後私が単身赴任の後に引越したのが2000年3月だから、それからでも12年が経っている。 しかし毎日バタンキューの生活で、実際のところ周りがどんな所か詳しくは分かっていない。どこか外国で暮らしているような気がして足が地についていなかったようだ。ここが“終の棲家”と思うようになったのはつい最近のことだ。 そこでこの際だから、この南海地方を改めて見直してみようと思う。 さてどっから始めたものか。 子供達の為にも、1991年何故ここで暮らし始めたのかから説明せねばなるまいとは思う。友達関係もあっただろうに親の都合で引き離し、誰一人知り合いのない山の中に連れて来られたのだから。 当時上の子供(icon君)が小4年、下(midorimushiさん)が小1年生になる時だった。 その日、東京から飛行機で移動し空港で親猫が脱走した時は焦った。でも子猫がいたので親猫は戻って来てくれて、今では笑い話になっている。 到着早々巨大ムカデ(20cmはあった)が寝ているicon君の上を横切って行くし、森でターザンの真似をして蔓に飛び付いたmidorimushiさんが茨で傷だらけになったりしたのを思い出す。 満天の星がビカビカに輝き星空ってこんなだったと思い返し、逆に星のない夜は一寸先見えない真暗闇になる、都会にはない怖さが蘇えったものだ。 それでも子供たちが明るく元気に育ってくれたのは、P子さんや、現地でもらい受けた犬、連れて行った5匹の猫達のおかげだと思う。戦後開拓時の廃屋を作り直し、迎え入れてくれたS大家さん達のご厚意に助けられたことを感謝する。それと子供たちは直ぐに学校に慣れ、友達が沢山出来たことが支えになったようだ。 しかし今は、私が若い頃に上京したように、二人とも遠い大都会で暮らしている。 春を呼ぶ火祭り 小学生による黒潮太鼓の響きが心地よい ⇒ 黒潮太鼓 ![]() ![]() 今日は正月以来久しぶりの休日。
何となく本屋に入ったら、五木寛之の『下山の思想』がその本屋では売上ランキングトップになっている。 1月3日付だったか、朝日新聞に1ページ全部使った広告が出ていて、興味があったので正月に既に読んでいました。 曰く、 『戦後60数年、この国は上をめざしてがんばってきた。上昇する。集中する。いわば登山することに全力をつくしてきた。 しかし目指す山頂に達すると、次は下りなければならない・・・。』 古来、天変地異や大惨事やら起きると、末法思想や終末論、怪しげな宗教などが徘徊するものである。 しかし氏は何年も前から自殺者が毎年3万人超(昨年で14年連続)の現状を捉え、戦前戦後を通じてこの国は“躁”の時代を生きて来たが、100年ぐらいのスパンで鬱の時代に入ったのではないかと述べていた。今思いついたような話しではないのです。 始まりのあるものは終わりがある。爆発は収縮する。対米従属型の日本資本主義が急速に膨張し終息を迎えているというのは、何となく皆自覚していることだろう。 別な質的転化の方向が分からず、考えると辛くなるから皆黙っているのではないか・・・。 戦前戦後を通じて坂の上の雲をめざして頑張ってきたが、頂上を越えて下り坂になっているにも関わらず、上を向いたままつま先立って歩いていたら蹴躓いて転落してしまった。 下を見渡しながらかかとを付けて下山し、次の豊かな登山を考える時期ではないか。 その様な指摘にはホッとするところがある。 では頂上を過ぎたのはいつ頃だったのだろうか。 「成長が終わった」という論自体は70年代の石油ショック以来何度も言われてきたが、私は山を越えたのは1990年前後のバブル期だったと思う。 その絶頂期は地価が急激に高騰し、東京四谷の交差点の地価が坪億単位の値が付いたと言われていた。路地を少し入った所でも坪2千万円とかのなかで、小さな商店は土地を売り払い潰され、大通りは歯抜け状態になったのを覚えている。 バブル投機のツケはどこに行ったのか。 その後の消費税増税と医療年金福祉を後退、不安定雇用を増大させ低賃金構造を維持するという形で、大手不動産企業でもなく大手銀行でもなく、いや彼らはむしろ優遇救済され、ツケは庶民に回されて行ったのだ。 私達家族が住宅問題に見切りをつけ、田舎に引っ越したのは1991年4月1日のことだった。今振り返れば、その時東京という時代の頂点から、つまずきながらも“下山”したんだなぁと思う。 網修理場 ![]() PS: 問題は朝日新聞の年頭の社説でした。 「戦後ずっと続いてきた『成長の時代』が、先進国ではいよいよ終わろうとしている」としながら、結論は新興国との競争の為に「国をもっと開いて打って出る」とか「社会保障と税の一体改革」を進めるとかだそうです。 何のことはない昨年来のTPP参加、消費税増税で国民は我慢しようという翼賛論調。 我慢してコケてもまだ上をめざして進めという訳です。 そんな背景での『下山の思想』広告ですので注意しましょう。 なんと年賀の挨拶文が1912年になっていました!
2012年に訂正し今世紀最大のチョンボを陳謝します。 イラク戦争の翌年から、 犠牲者の喪に服し9年間も年賀状出さなかったもので、 すっかり2000年代になっているのを忘れていました。 100年も違えるなんてここは笑うしかないでしょう。 今朝相方が気付いてくれました。 それで「この頃どうも頭が変だ」とボケたら、 「以前から変です」ときっぱり突っ込まれました。 年始早々“笑う門には福来る”というオチで、 アハハと笑ってどうぞお許しください。 そんな訳で改めまして、 今年(2012年)からは、ビシッと宜しくお願い致します。 新春の海 ![]() いやあ正月明けて忙しい毎日です。
例年は今頃暇で干乾し状態になるのですが、 今日(日曜)も仕事でした。 ブログ更新ままなりませんが、これは緊急連絡です。 明日(9日)PM4:50′ 6チャンネル ニュースキャストにご注目 イノシシ被害を考える会のNさん。 正月明け畑仕事をしていてフト見上げたらカメラ陣があったそうで、 メイクもしてないのにと思いつつ取材に応じたそうです(笑)。 自然農法をされていて、いつでも誰かを助けている方だそうです。 獣害問題をマスコミも取り上げているようです。 今年の“ウツボ干し君” 竹で突っ張ってます ![]()
もう正月も終わり明日から仕事です。
正月は、 娘達若者組がやって来て、あっという間に薪を割ってくれました。 後はバタバタと家事労働したり本読んだりして過ごしました。 相方の実家に挨拶に行き、いろんな話題で楽しい宴会がありました。 今年は、公私共々穏やかな年を願うばかりです。 正月気分に水を差すようですが、事故の収束は程遠いようです。 http://www.youtube.com/watch?v=ILOJxphb8rc この現実をしっかり見すえながら、その上で元気に行きたいものです。 あとでまた“想定外”などと言われ騙されないようにしましょう。 (体調が悪くなるのでしばらく原発問題は投稿止めます)。 風は冷たいけど暖かい日差しの中を、 山の上のお寺に初詣でに出かけ、 この周辺を見渡せる小高い山に登りました。 参道に石仏が並ぶ ![]() ![]() ここが第2の故郷です ![]() ![]() 猫曼陀羅:上から時計回りにマメ、シャチョー、ミツマメ、オキャン、オオジロー、ソバ。 右下に狸のクルッポ。 我が家の動物達です。P子さんともども、今年もボチボチ生きたいと思います。 TVのない大晦日も静かで良い。
もうすぐこの年も暮れようとするころに、 娘が彼氏を連れてやってきました。 では皆様、来年は良い年でありますように。 今年の気に入った写真 春夏秋冬一枚。 <植物> 4/13 青い衣のネモフィラ ![]() <風景> 4/17 故郷の裏山から観た飯豊連峰(写真はmasato君) ![]() <生活> 8/3 静かな朝 釣人一人 ![]() <動物> 9/26 外飼の猫 ソバとオオジロー ![]() <番外編> 希望ヶ丘の風景 ![]() *気功?する相方に猫が集まる不思議・・・ ☆今年の名言大賞発表
今年心に残った言葉で私が勝手に選ぶ“名言大賞は、”9/19さよなら原発集会、武藤類子さん(ハイロアクション福島原発)のスピーチでの一言です。 原発事故でこれ以上的を得た発言はないと思いました。この一言にガーンときました。 ― 山は青く水は清らかな私達のふるさとです - (9/22投稿) 私はどうもこの国の形が嫌いらしい。いわゆる“愛国心”というものがまるで無い。 だったらどんな国が良いのだろうか。 ゆとり教育で学力NO1経済力もあるフィンランド、軍隊が無い丸腰国家で監獄がホテル並みのコスタリカ、物は無くても幸福度を国是とし憲法9条に掲げるブ―タン、そんな三つをあわせたような国が望ましいと思う。いずれも今の日本の国とは逆の形ですが。 そんな国はどこにあるのだろうか、どこにもないけれど私の中にはずっとあったのです。 それがフクシマというクニでした。 私の中で50年代から60年代に掛けて、少年期に培われたであろう故郷への想いです。 日本の国の変容が始まったのは、おそらく60年代の頃から、曲りくねった道が直線になり、田畑が四角形になり、農薬で川に魚が住まなくなった頃からだと思う。 やがてサイディング仕立ての呼吸しない家が立ち並び、外に開かれず内に奥行きの無い空間の中で、TVやNETの仮想現実が支配し、虐めや鬱や自死がまん延する社会となった。 その社会の行きついた果てに原発事故が起きる。 私のフクシマはもう戻らないだろう。 3/11以降突然断絶し宙ぶらりんになったまま心象の中でしか存在せず、着地する場所を求めてさまよっていました。 国家権力ぐるみの過失犯罪で、その国家を支持して来た人達の連帯責任を呼び掛けたのが、「頑張ろう日本」のキャンペーンであったでしょう。 頑張るのは良いけれど、そこには国民への責任転嫁が見え隠れして、違和感を覚えたものです。 そんな折に“ニッポン”ではなく誰もが持つ“故郷”という視座でみれば分かると、武藤さんの発言は知らせてくれました。 私の場合愛国心はまるでないけれど、郷土愛は(世界中どこにでもあるように)鮮烈にあったのです。そして、そこからしか時代だとか未来だとかは見えてこないと思うから、“国家”ではなく“故郷”にこだわり続けました。 結論を急いでもロクなことはないし考えは直ぐ変わる訳ではないけれど、自分の寄って立つ基盤、着地する心の拠りどころみたいなものを、少し分かったような気がします。 すなわち2011年は変容する“故郷の別れ”、そして身近な足元からでも自分の“故郷の再興”を願う、そんな年になったようです。 PS: ☆ベスト評論賞 中日新聞6月3日 【特報】 ― 「菅降ろし」なぜ起きた ― (6/5投稿) 政変が原発推進派による巻き返しだったことを見事に解説、秀逸な評論でした。 ☆音楽特別賞 フライングダッチマン ― humanERROR(人災) ― (11/26投稿) これはやられました。拡散希望です。 *今宵はスメタナ 交響詩《モルダウ》 ⇒ ~わが祖国より 故郷のあぜ道にて ![]()
久しぶりに新築の仕事が始まり、年末に向かって忙しい毎日です。
クリスマスの日も休みなしで出っぱなし、家事の方は雑用が溜まる一方。 林道に薪拾いに出かけ、製材所で焚きつけ用に木っ端をもらってきて冬支度、それ以外はな~んもできてません。 でも頑張らないのだ。 イラク戦争の始まった9年前、犠牲者の喪に服し侵略軍隊が撤退するまで年賀状を控えさせていただきます、という案内状を出して以来今年に至っています。 予想した通り、全く大義名分のない覇権による侵略戦争であったことは明らかになりました。 そしてこの12月アメリカは「終結」宣言し、傷跡だけを残し撤退しました。 で、年賀状復活して出そうと思ったのですが、な~んもしていない。 草刈り、大掃除、家の修繕、道具の手入れ、車の修理 ・・・・・。 頑張らない、けどなげださない、それでいいのだ。 ![]() PS: 先日、第2回“イノシシの被害を考える集い”があり盛り上がったそうです。 昼間だったので参加できませんでしたが、町会議員や猟師さん、隣の岬でも“集い”がありそのリーダーの方の話も聞けたようです。 岬ではアライグマも急に繁殖、1つがいいれば年350頭に増えると言われる動物で、木にも登るので柵も役に立たないとのこと。元々いなかった動物、ペットが捨てられたのではないかなどと噂されている。 大川上流の氾濫で業者に飼われていたイノシシが流され海を渡って島にやって来たのではと、前回記事にしましたが、そうじゃなかったという情報あり。なんと流されたイノシシは業者の元に戻ってきたと言われています。 へ~ 飼われたイノシシは餌をもらうために戻ってくるんですね。 仕事を止めて自給の道を歩むのはいかに ・・・・ ウ~ムです。 冬至を過ぎると
一日一日と日が長くなっていく 冬至来りなば春遠からじです 北国育ちのせいか 冬至から早春までの季節が 若いころより好きでした このところ朝晩きっちりと冷えるようになった きっちり冷えるから ホンマもんの温かさも感じるといいうもの 今年を忘れないで 年を重ねながら前を向いて歩こう 陽だまりの猫達 オオジローと 後ろにソバちゃん(保護色猫)居るの分かりますか ![]() ![]() 先日休みの日、例によって情報収集しに喫茶店に行き、新聞雑誌を読みあさる。
関心を引く記事はあまりなかったが、週刊現代の年金特集が面白かった。 ■ 『60歳から年金もらって幸せになろうよ』 国が宣伝しない「60歳からの繰り上げ受給制度」教えます、誰でも貰えます。 この国の年金制度は全く当てにならない。いずれは財源が枯渇し、受給額は減らされ、受給年齢は引き上げられる。自分の年金は自分で守るしかない。 その有力な手立てが65歳受給を待たず60歳から繰り上げて年金をもらうことだ。 77歳前後までは繰り上げて受給した方が受給額は多くなるが、それを越すと逆転する。 60歳受給のデメリットは、年6%ぐらい減額され生涯続く。 重度の障害を負っても障害基礎(厚生)年金の請求ができない。等々。 ■ 年金制度を下げて消費税増税してチャラにするというのは、国家詐欺です。 でもそれが通るご時世だから、いっそ減額になるけれど現行制度で早く年金をもらい支給額を確定してしまう選択肢もある。 知人8人に聞いてみたら、なんと5人が60歳繰り上げでもらうとのことだった。 我らの年代は65歳からと思って、まだまだヒマなしバタンキューの生活を送らねばと思っていたのに、知らなかった。 急に、えっその手があったかと、ウ~ムでした。 年金もらっても、遊んで暮らせるような金額ではないけれど、月に何日か仕事をして、自給自足目指して畑を作る(もちろんイノシシ対策が前提)、そんな手もあるかなと・・・。 もう現役引退の時期かも知れません。ちょっと寂しいけど、やりたいことは沢山あって時間が出来るのはそれなりに楽しいことのように想う、そんな年の瀬です。 クルッポとオキャン ![]() 体調が悪くなった原因は今年の定期検診で分かりました。
若い頃から境界型と言われやや血糖値がやや高かったのですが、今年はストレスのせいか急に血糖値が上がったようです。 免疫学者の阿保徹(新潟大学教授)がストレスについて述べています。 「ストレスを受けると自律神経のうちの交感神経が緊張します。このとき、ステロイドホルモン(特に、糖質コルチコイド)が分泌されるのです。 本来このような生体反応は緊急事態を乗り切るために大切な反応なのです。特に、交感神経刺激のアドレナリンも糖質コルチコイドも血糖を上昇させ体温を低下させます。 しかしストレスが持続したときはこの高血糖と低体温が多くの慢性病の引き金になってしまうのです。」 「・・・生き方の無理や心の悩みが長く続くと、今度は高血糖、低体温が体の負担となり病気に入って行くわけです。高血糖は糖尿病の病態ですし、低体温は組織障害の病気やがん、免疫低下の病気を作りだします。本来、危機を乗り切るための体調が固定したのが病気と言うことなのです。」 ストレスは万病の元、いやはや気を付けなくちゃ! でした。 それで町の病院へ行き薬をもらい節制して、ある程度血糖値は下がりました。しかし医者と薬の嫌いな私は、医者と薬に頼らない他の方法は無いものかと探ってみました。 そこで出会ったのが、江部康二(高雄病院理事長)の“糖質制限食”。 主食(穀物)をとらない食事法で賛否両論あるようですが、とりあえず実行しています。 これまで、朝食抜きの1日2食、玄米に1汁1菜、おかずが少しという食事でした。今度はご飯(米)は昼軽く1杯だけで夜は無しにしました。その分肉や魚などのおかずが増えています。 この説気に行ったのは“そもそも”論です。 そもそも人類が出現したのは400万年前ですが、穀物(糖質)を主に食べるようになったのが、農耕がシリヤ辺りから始まった1万年ぐらい前からだそうです。 399万年は肉や魚介類、昆虫、野草、ときどき木の実、ナッツ、果実などで糖質を摂るという食生活だったそうです。 人体の機能はそもそも血糖が高くなる危険にあまり備えがない。現代の穀物中心の食事が人体の機能に適していないということでした。昔穀物の無かった頃のイヌイットは成人病やアレルギー疾患がほとんどなかったそうです。 その辺りの考え方が勝手に気に入っています。 福島のリンゴはものすごく美味い! 糖質ですが毎日少しずつ長~く味わっています ![]()
知り合いのMさんが夜寝れないほどの肩痛になり、近所の整体師に治療してもらったら一回で治ったという話を聞いて、このところずっと体調が悪かったので私も試しに見てもらってきました。
第一印象“ケーシー高峰”風の先生でした。 以前もそうでしたが、整体師さんというのはどうも“ケーシー・・・”風なのが似合っていると勝手に思います。 この先生午前1人午後1人の客しかとらず、有名な俳優(R・Sさん)とかもヘリを飛ばしてやって来るらしく、山の中にヘリポートも用意しているそうです。その専門筋では有名な整体師さんだそうです。 初診料8千円は少し高いですが、これも熟練料だと思えばいいのでしょう。 問診に結構時間を取ります。 開口一番、「原発事故以来、怒りとストレスで体調が悪い、何とかなりますか」 「そんなもん気にしてもあきまへん、気にしてもどうにもなりませんがな、陽気に行かなくちゃ」と先生。 「そういう何も気にしてない人を見るとムカついて、それがまた許せないのです」 唖然とする先生、「大阪も維新の選挙で公務員改革よくなりまっせ、吉本のノリで行きましょうや」 「大阪はますます悪くなります、教育現場は自由にものが言えなくなるでしょう、吉本は実につまらない」と私。 「政治家なんて自分の事ばかりで汚いもんです、みんなそんなもんでっせ、あまり目くじら立てないでここの生活を楽しまれたらどうです、汚れた泥の上に綺麗なハスの花は咲きますねん」 「考えはそうありたいと思いますが、心からそうなれません、アルカイダのテロは東電による放射能無差別テロと比べたらまだましです、それを気にせず生きるってどういうことでしょう」 「それはそうかもしれんけどや、まじめ過ぎても損するだけ、それはそれとして自分をもっと養生せなあきまへんで」 ・・・てな具合で一時間ぐらい、「釈迦に説法」「馬の耳に念仏」の問診が続き、気がつけば言いたい放題のストレス解消になったようです。 これって実は“名匠”のなせる技かもしれませんね。 (あ、釈迦=先生、馬=私ですので、念のため)。 処術は“オステオパシー”というもので、カイロプラクティックの整体が骨を矯正するのに対して、こちらは骨の周囲の筋肉をほぐし歪みを治すのだそうです。 手や足を持って体制を微妙に変えながら指で壺を軽く押さえるだけなのですが、初回の経験では結構効き目ありと感じました。 池袋で娘さんも開業し繁盛しているとのこと、興味ある方は一度体験されてはいかがでしょうか。 この先生の庭先を案内してもらいましたが、花が生き生きして印象的でした。 丘の上の校舎 ![]() 12月に入ってから2つの集いがあり参画しました。
■ 脱原発をめざす“会”を立ち上げる集い ただ原発を無くすという一致点だけで会を立ち上げようということでした。 右も左も上も下も関係なく、無用な攻撃争い事は持ち込まないということです。 この地域では40年ぐらい前に原発誘致に反対し断念させた歴史があります。 非核宣言の町で、今度の町議会でも“脱原発に向けた“エネルギー政策の転換を求める意見書”を全会一致で可決しています。 そして身近すぎてうっかり忘れていましたが、ここはサンゴ礁の生息する希少な海があり、生態を守るラムサール条約に登録されています。、ダイバーのメッカでありサーファーの集まる地域です。 “会”の呼びかけ人の中心はどうもサーファーの仲間達のようでした。 マリンブルーに原発は似合わない。 サーファーがきれいな海を求めるのは分かりやすく、ストレートに伝わってきます。 今回の呼びかけで、いろんな方の自己紹介があり、さまざまな経験や想いが交換され、この地方にも面白い方が沢山いらっしゃるのを知りました。 急に新たなコミュニティ、ネットワークが広り、身近に感じられたようで良かったです。 サンゴ礁 町の観光協会の写真より ![]() ■ イノシシ被害を考える会の集い イノシシの被害で、ついに島のおばさん達が立ちあがる! どうも9月の豪雨で大川の上流が氾濫した際、業者に飼育されてたイノシシ30頭ぐらいが流されて、海を泳いで島に渡って来たという、ウソのようだが信頼できる情報あり。 (そういう意味ではイノシシの方が被害者かもしれません、アハハです。) 確かに9月以降被害は多くなっています。 畑を柵で囲うが踏みつぶされ維持管理だけで大変、わなを仕掛けるにも資格を持った人への依頼や処理の仕方、猟を頼んでも猟犬に畑を踏みつぶされたりと難解な課題ばかり。 家の花壇まで荒らされ、車にぶつかり事故も起こり、今や島の生活問題になっている。 島のおばさん達の呼びかけで集会がもたれ、被害状況や対策法など話し合われました。 一人で解決できるものではないので、次回は署名を集め町会議員も呼んで相談しよう、それまでノシシの出没マップなども作成しようということになりました。 P子さんも呼びかけ人の1人として参戦。 花を生業とするこの方は、庭の花壇をすっかりイノシシにほじくり返されてしまいました。 唐辛子を土に敷いておけば近寄ってこないのではと、試しに素手で細かくちぎっては沢山まいたのですが効果は全くなし、P子さんの手がボンボンにはれただけでした(笑)。 笑っている場合ではない。 イノシシよ! P子さんを怒らしたら恐いぞ、なめたらあかんぜよ! ![]() 二コリーヌさんのブログより転載します。
![]() 『人の一生は、一瞬一瞬の瞬きをするくらいに移り変わっていくからこそ愛おしいと思うのです。 昨年「現代童画展」に入選した絵のお話を書きます。 タイトルは「瞬き(またたき)-明日の娘(こ)」です。 小高い頂に座っている少女は、核の災いで人類が減り、文明の繁栄も昔話になった後にも生き延び、絶望や悲しみをすてて希望を見つけてかすかに微笑んでいる「明日のこ(娘)」なのです。 この絵を描いて一年もしないうちに福島原発事故が起きたので、私の心には戦慄が走りました。 大人世代としてこんな世の中をくい止められなかったことを子どもたちに申し訳ないと思うのです。』 さらには、今まで直面したことの無い低エネルギー縮小型経済への転換、価値観の変更を余儀なくされ、世界観の地殻変動が起きていると見ることもできます。
福島市のHS君が「フクシマに今必要なのは本当は哲学なのだ」と言った一言が、私はずっと気になって頭から離れないでいます。 簡単に述べると中世の神中心社会から、現代は産業革命以降の科学万能主義、西洋合理主義の人間中心社会となった。その人間中心社会が今目の前で崩壊しつつある。 そこからの超克としての哲学は、経済のグローバリゼーションの中で不毛のままでいるというようなこと。 3/11以降、せいぜい数年先のことしか考えてなかったのが、プルトニュームのお陰で2万4千年ぐらい先は考えざるを得なくなったようです。 ホモサピエンス(現生人類)がアフリカを出発して地球上に広がったのが10万年前とか、 そして現代は核廃棄物の処理で10万年後の子孫にまで想いを馳せるようになりました。 そのことが哲学上の特に死生観に大きな変遷をもたらすのではないかと(哲学なんてほとんど知らないけど)、直観的に想います。 “人間中心史観”の後に来るのは、適切な表現ができませんが“自然中心史観”のようなものの見方考え方ではないかと夢想しています。 放射能汚染と言うけれど 地球から見れば1つの自然現象にすぎない 原発事故が起きても自然は何も困らないのだ 人間が困っているだけだ 自然に人格があったとしたらさぞかし 「ほほう人間は原発事故なんか起こしちゃって困ってますな」 なんて言いながら眺めているだろう だから自然破壊なんて心配しないで良い 葉っぱ一枚作れない人間が 自然を破壊するなんてことはそもそもできない 破壊しようとするならその前に自分達が先に滅びるだろう その時人類が滅びてもそれはその程度だったということだ だいじょうぶ 福島大学准教授が言っていたように 「最後は海が受け止める」だろう 放射性物質は何万年何十万年もの時間をかけ海に辿り着く そして浄化される (森が浄化するとナウシカみたいに思っていましたが ちょっと違っていた 海だ) 放射能汚染ぐらいでくよくよするな 多少早いか遅いかの違いはあるが人はいつか死ぬ 息をしているだけで幸せというもの 生きている間どれだけ地球のDNAに貢献できるのか そこにしか生きがいも死にがいもない 人の亡骸はどこへ行くのだろうか 何万年何十万年もの時間をかけ海に辿り着く そして浄化される 放射性物質も動植物の遺体も海に集い 地球の記憶として残り新たな始まりの糧となる 人はどこから来てどこへ行くのかって? フクシマのおかげで分かったよ 生命は海(羊水)から生れ海に帰るのだ ということは みんな死んでも海で会えるぞ そこでお前はあの時こんなことしていたなんて アハハと討論会でもしよう 海で人類同窓会なんて乙じゃないか おびただしい生命の残骸が累積し 海はどんどん濃くなっていると前に書いたけど どこまでも濃くなるなんてことはありえない 一定の量に達した時点である質に転化する 現生人類の役割もその一つの過程にあるだろう その気付きが人を救うかもしれない・・・? でもそれは人間中心の歴史なのではない 生きているのではなく生かされているというようなこと *もう師走、一旦ここで“原発問題”について終わります。 海へ続く長い道 ![]()
汚染食物の対応について考えると、一見矛盾するような2つの傾向があるようです。
1つは、自分だけは生き残ろうとするサバイバルな生き方。 2つめは、子供に優先して安全食を与え、年配者ほど汚染食を分かち合い、種の保存をしようとする共生の生き方です。 でもどちらも自然な本能で、どちらかを選択すれば済むということではないようです。 まずは広瀬隆さんや小出裕章さんの提案について考えてみます。 広瀬説=幼児や若い女性を避難させた上で、長期に渡ってデーターを一切公表し、30歳以上は農業漁業者を守るために出荷制限せず食べる。政府は「ただちに健康に影響はないと言い続ける。何年か後にガンになりたい人はなれば良い。 小出説=細胞分裂の活発な若い人ほど影響受けるので高齢者ほど汚染食を引き受けるべし。後は配分の問題でしかない。全て汚染されている(低量被爆も含め)中で私たちが選択できるのはどうやってリスクを分担するかだ。 その上で小出さんは「何も知らなかった」「自分には何の責任もない」「安全だと言って来た政府と電力会社に責任がある」という人達に対して“だまされた人なりの責任”があると述べている。この事故を起こした大人たちが罪滅ぼしに食べるしかないと。 この二人私はにわか脱原発派と違って大変尊敬しますが、この汚染食の問題になるとすこぶる投げ遣りと思える言い方をします。 お気持ちはよ~く分かり賛同致しますが、長年警告したのに受け入れなかった大人達への鞘当て、出来ないことを主張しているようにも思えるのです。 それに対して「食べるのはいやだ全員が食べない方法もあるはずだ」とする反論もあるようです。しっかし私はそうだろうかと、この部分はどちらの意見にも賛同しかねます。 そもそも今の事故責任逃れ政治では、低量汚染も含め厳密に検査し汚染してない食物だけを流通させるのは無理だろう、可能だとしてもやらないだろう。したがってリスクの分担という仕組みすらできないし、全員食べない方法はもっと無理だろうと考えます。 広瀬さんや小出さんの言う共生の道は、あきらめず出来るだけ努力すべきだと思います。 声を上げて、地区ごと農漁協ごとに共同モニターを設置するとか、スーパーごとに自主検査して販売するとかも有効な手でしょう。 しかし今すぐは現実問題として難しいのであるなら、努力しながらもあとはサバイバルの方法を各自てんでに考えるしかないと思います。 私の考えは昨年の一般食事の結論と同じですが“粗食民族”になることです。 ●できるだけ食べない、食べるなら美味しく食べる。 粗食にして、食べるならアハハと笑って感謝して頂くということです。 そして新陳代謝を良くし放射性物質を排泄し、免疫力の高い体質にすること。 *余談ですが自然塩は解毒に良いかもしれない(ただの直観です)。 放射能汚染食によって引き起こされた“自生と共生”のテーマは、突き詰めると如何に生きるべきか、あるいは如何に死すべきかという人生観・社会観を問い詰めているようです。 Aコープの自主検査広告 ![]() しかし放射能汚染を全食品精査し数値を表示なんて出来るのだろうか、現状を見るとちょっと絶望的になってしまいます。
例えば、福島市の大波地区の米が630ベクレル検出され、主食のコメとして初めて出荷停止となった。 この地区では収穫の前と後で検査し安全宣言が出された所で、真面目で良心的な農家の方が、念のため自主的に検査に持ち込んだ為分かったようです。 窪地や沢水の集まる所などホットスポットになり易いということで、本検査が15ヘクタールに一カ所という目の粗さが問題として指摘されています。 私としては海洋汚染も心配しています。当初問題になった千葉沖だかのキビナゴの汚染とか今さっぱり言われないのはどうしてだろう。 それ以降も海洋汚染はじゃじゃ漏れで、食物連鎖で大きい魚に行くほど汚染が濃縮するとも言われるのに、さっぱり情報が入ってこない。 北海道から西日本にまでセシュウムが検出されているけれども、規制値500ベクレル以上の検査すら大雑把で不十分だと思わざるを得ないのです。 499ベクレル以下の低線量汚染の食品は、WHO基準10ベクレルと比べそれでは危険とされながら、すでに市場に出回っていて子供達の食卓に上っています。 東京の知人からのメール<公益財団法人・福岡県学校給食 >。 『9月より、東日本の食材を、取り入れました。福島県産の物も、非常に多く驚いております。何故、わざわざ九州まで運んで来て、学校給食に出すのでしょう。 その理由は、3つ考えられます。現在、東北や関東でも、給食に、<福島県産>が、使われるのを、保護者が、懸念していて、給食では、使いにくくなっているため、福岡に回って来たのです。九州の保護者達は、放射能の問題に感心が少なく、敏感でない為・・・。』 文科省が学校給食は40ベクレル以下を目安にするよう、各県教育委員会に通達を出しました。(後日、機械選定の目安を誤解されたと釈明。) 40ベクレル自体がまだ少し高いのですが、問題は499ベクレル以下の食材が全国の家庭ではすでに、“安全”だとして普通にまかり通っているということです。 先日は岐阜産のモヤシが福島相馬市で加工され、こちら南海で売られていました。 今や流通が全国ネットで飛び回っています。 汚染食品が仲買人に安く買いたたかれて、大量に加工するコンビニやスーパーの食材や調味料に紛れこんでいくだろうし、産地偽装も増えていくのではと心配されます。 問題は広瀬さんや小出さん達が言うような、検査をきめ細かくし表示をきめ細かくできるのか、可能であってもしないのではないかということです。 すればパニックになるし、補償が風評被害も含め莫大になるということから「今すぐに健康に悪影響が出る訳ではない」事をいいことに、しないだろう。 自由競争の市場原理主義ではこの問題は解決できない。 消費者の側に立った強力なチェック機能が必要だが、それが今すぐできるとも思えない。 一番良いのは食べる側がその都度食材をチェックすることですが、検査機器ベクレルモニター1台1~2千万円、性能の劣る簡易検査機で数百万円というから、一般庶民にはそれも難しいことです。 退職金5億円もらって辞めた東電清水前社長など原発推進した1%の富裕層は、たぶん優秀な機器を購入して検査しているだろう。或いは外国産を仕入れているかもしれない。 スーパーやコンビニで食材を購入する我ら99%の一般庶民は、当面1人1人どうするかということです。汚染食品の市場原理の中で、1人1人どう生存競争に立ち向うのか考えなければならないようです。 柿の木のある塀 ![]() さてさて、最後は放射能による食物汚染について考えてみます。
放射性汚染土の問題は主に外部被ばくに関することでしたが、汚染食物の問題は所謂内部被ばくの問題として、すっかり国民全体のテーマになりました。 ミクロのホットスポットが体内に出来てしまうという、疎ましくも難解な問題です。 食べる側もそうですが生産者の人達の実被害、気苦労ストレス等も測り知れません。 セシュウムの暫定規制値、肉米野菜は1Kg当り500ベクレルまで、飲料水乳製品は200ベクレルまでとなっています。 (1秒間に1個の割合で原子核が崩壊した時の放射能の強さを1ベクレルとする。) まずこの暫定規制値に何の意味があるのか良く分かりません。 低線量でも被ばくするし、体質により年齢によっても影響は違ってくる。 500ベクレルは危険で499は安心ということでもないようだし、どうやら0なら安心、1なら1番危険が少ない、500なら500番目に危険が少ないということのようです。 素人目から見ても、“低ければ低いほど良い”と思って間違いないでしょう。 ではどれくらいなら通常安心できるのか。 元々自然界の食品カリュウム40などにも数十から数百ベクレル含まれていて、内部被ばくで年間0.2ミリSぐらい浴びます。 宇宙線や地球からの自然放射線も日本では年間1.4ミリS(世界平均2.4ミリS)ほど浴びているそうです。 医療被曝は日本では年間平均2.4ミリS(世界平均0.4~1.0ミリSと逆に低い) 500ベクレルの牛肉200g食べたとしても0.0016ミリSですから、それだけで捉えれば 大騒ぎするような線量ではないようです。 それこそまさに、「今すぐに健康に悪影響が出るわけではない」のです。 ただ総トータルで長い目で見れば影響が出てくるわけで、出来るだけ被ばくしないように注意すべきだということでしょう。 ■(以上、立命館大学安斉育郎教授解説より引用)。 WHOの国際基準の規制値はコメで10ベクレルだそうです。 チェルノブイリ事故で日本は370ベクレル以上を輸入規制したそうです。 なぜ自国で事故が起きたら500ベクレルに引き上げるのか、この基準値の違いも意味が分かりません。 これでは健康問題より政治判断でしょう。つまり農家への賠償を少なくしたいという意図しか考えられないのです。 だから500以上を規制しても、499以下が出回っているから安心なんてそんなもんでは絶対ないのです。 この際、流通に出回る499以下とかも全食品数値を表示し、実態を明らかにしたほうが不安解消には良いのではないでしょうか。 買う買わないは個人の自由です。 柿の木のある家 ![]()
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