伏拝(ふしおがみ)王子でそんな行程を戒める出来事があった。
そこに一軒の民家らしい家があり、そこの親父さんが語り部のように色々説明してくれる。どうもNHKドラマの“ほんまもん”の舞台になったらしく話し出すと止まらない。
こちらは旅行のノルマをこなすので頭がいっぱいでイライラしているのに、「急いでばかりでいてもつまらないですよ」なんて解ったようなことを言う。
その親父さん私の右手を広げろと言う。
右手の親指の付け根が熊野とすると、親指が“伊勢道”、人差し指が“大峯奥駈道”、中指が奈良から来る“小辺路”、薬指が船で田辺に着き横断する“中辺路”、田辺から海伝いで来るのが“大辺路”だと説明してくれた。解りやすい。すると潮岬は掌の左の付け根あたりかなんて感心した。
さあもう次へ行こうと呼びかけたら、2分間だけでいいから本宮大社に向かって歩いてみてくれとその親父さんが言ったようだ。往復4分ぐらい良いじゃないいう意見が多数派となり、私はしぶしぶ後から付いて行くことになった。先方は2分間行けるとこまで行こうとタッタカ速足であった。
古道が霧の森の中に入っていく。入り口に“蘇生の森”と書かれている。
何か匂いがする。何て言えばいいのか味覚で表せば“甘い”匂いだ。あまり嗅いだことのない匂いのようだ。しかし懐かしい匂いでもある。おふくろ・・・まさか?
その親父さん、霧の中で「この山でいろんなことをして遊ぶのだ」と呟き、シダの翼を広げたようなつがいの新緑の葉っぱを採り、おまじないの様な仕草で両端を少しちぎっては谷側にむかって投げた。確かに紙飛行機の様に少しだけフワッと浮いて飛んだ・・・。
ふと前方を見ると先の連中が霧の中に消えて姿が見えない。周りは静かであった。
その時何かに見られているような気配を感じた。例の草刈りをしている時に感じるのと同じ視線だ。森の中の生き物たちが息を潜めて見ているのか。亡くなった者たちの霊なのか・・・ 森の精、もののけ・・・。
一寸不安になり辺りを見渡す。親父さんの“笑い鬼”のようだった横顔が、霧の中の先方を見つめ真顔になっている。 ・・・天狗?。まさかそれは無いだろうなんて思ったら、思っただけで畏怖の念が降りてきた。
「オーイ!」と大きな声で先方を呼び戻した。
この4分間は何だったのだろう。もっともっと長い時間そこに居たような気もする。ツアーを終えて10日も過ぎて、その出来事がなかったら“ほんまもん”の熊野古道に触れることはなかっただろうと思った。
悠久の霧の古道に誘ってくれた、ひょっとして天狗か鬼が乗り移っていたのかもしれない親父さんに、今振り返ると感謝している。そんなに急いでも解らないのだと、伏拝の“天狗”は戒めていたようだ。
あの時皆を「おーい」と大声で呼び戻したのはノルマをこなそうとしたのではなく、霧の中に離れ消えていくのが怖かったのだと白状しておこう。

# by turnipman | 2012-05-26 21:08 | 南島にて | Trackback | Comments(0)
























