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伏拝の戒

 「不便と不効率を求める信仰なのだ」などと書いたが、レンタカーのプリウス1500CCで3日間330Km走り、リッター当り19.4Kmだった燃費の良さを凄いと感動していたのだから、あまり偉そうなことは言えない。


 伏拝(ふしおがみ)王子でそんな行程を戒める出来事があった。

 そこに一軒の民家らしい家があり、そこの親父さんが語り部のように色々説明してくれる。どうもNHKドラマの“ほんまもん”の舞台になったらしく話し出すと止まらない。
 こちらは旅行のノルマをこなすので頭がいっぱいでイライラしているのに、「急いでばかりでいてもつまらないですよ」なんて解ったようなことを言う。

 その親父さん私の右手を広げろと言う。
 右手の親指の付け根が熊野とすると、親指が“伊勢道”、人差し指が“大峯奥駈道”、中指が奈良から来る“小辺路”、薬指が船で田辺に着き横断する“中辺路”、田辺から海伝いで来るのが“大辺路”だと説明してくれた。解りやすい。すると潮岬は掌の左の付け根あたりかなんて感心した。

 さあもう次へ行こうと呼びかけたら、2分間だけでいいから本宮大社に向かって歩いてみてくれとその親父さんが言ったようだ。往復4分ぐらい良いじゃないいう意見が多数派となり、私はしぶしぶ後から付いて行くことになった。先方は2分間行けるとこまで行こうとタッタカ速足であった。

 古道が霧の森の中に入っていく。入り口に“蘇生の森”と書かれている。
 何か匂いがする。何て言えばいいのか味覚で表せば“甘い”匂いだ。あまり嗅いだことのない匂いのようだ。しかし懐かしい匂いでもある。おふくろ・・・まさか?

 その親父さん、霧の中で「この山でいろんなことをして遊ぶのだ」と呟き、シダの翼を広げたようなつがいの新緑の葉っぱを採り、おまじないの様な仕草で両端を少しちぎっては谷側にむかって投げた。確かに紙飛行機の様に少しだけフワッと浮いて飛んだ・・・。

 ふと前方を見ると先の連中が霧の中に消えて姿が見えない。周りは静かであった。
 その時何かに見られているような気配を感じた。例の草刈りをしている時に感じるのと同じ視線だ。森の中の生き物たちが息を潜めて見ているのか。亡くなった者たちの霊なのか・・・ 森の精、もののけ・・・。

 一寸不安になり辺りを見渡す。親父さんの“笑い鬼”のようだった横顔が、霧の中の先方を見つめ真顔になっている。 ・・・天狗?。まさかそれは無いだろうなんて思ったら、思っただけで畏怖の念が降りてきた。
 「オーイ!」と大きな声で先方を呼び戻した。


 この4分間は何だったのだろう。もっともっと長い時間そこに居たような気もする。ツアーを終えて10日も過ぎて、その出来事がなかったら“ほんまもん”の熊野古道に触れることはなかっただろうと思った。

 悠久の霧の古道に誘ってくれた、ひょっとして天狗か鬼が乗り移っていたのかもしれない親父さんに、今振り返ると感謝している。そんなに急いでも解らないのだと、伏拝の“天狗”は戒めていたようだ。
 あの時皆を「おーい」と大声で呼び戻したのはノルマをこなそうとしたのではなく、霧の中に離れ消えていくのが怖かったのだと白状しておこう。





# by turnipman | 2012-05-26 21:08 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

紀南一周放射線量測定結果

紀南一周測定結果です。
それと1月18日0.33μsv/h高線量測定後、2月に行われた町の追跡調査結果と、4月の町の測定結果を合わせて報告します。


紀南一周測定結果2つの計測器は平均値0.17と0.16は均衡がとれている。
0.04差し引き結果として0.13と0.12ぐらいと見積もることができる。
一方町の追跡調査の平均値は2月0.15と0.13、4月0.15と0.08であった。串本幼稚園だけが通常の望ましい低い平均数値が出ている。2月4~5日が高くなっていて日によって違うのがわかる。


これまでの経緯から見解をまとめておきます

●1月に複数個所で高線量(便宜上0.24以上を高線量とします)を計測したのは、偶然か何かの間違いとして片づけることはできない。1/2~3日に福島市で1ヵ月分に相当する大量の放射線が測定されており(県の発表)その影響があったのではないか。今のところ他に原因が見当たらない。
 であるなら福島原発は終息していないことになる。メルトスルーした核燃料の所在もわからないのに、昨年12月終息宣言をした原発推進派による事故隠しが懸念される。
 これからも何が起こるか分からないわけで、町は保育園から小中学校まで継続して測定しその都度情報公開してもらいたい。新宮市のようにインターネットで公表してはどうか。

●その後低線量(通常0.10以下~0.23までをそう呼ばさせてもらいます)の範囲にあるが、0.13前後という平均値は他と比べても少し高い数値である。福島県の会津若松市ですら0.10~0.11である。
低線量汚染がうっすらと関西にまで及んでいることを認めざるを得ない。
この低線量汚染も福島原発事故の影響と考えられるが、チェルノブイリや核実験のため以前からあったのかどうか、セシュウムの土壌分析でわかるらしいので調べてもらいたい。

●年1ミリSV=毎時0.23μSVまでにするというのはIAEA(国際原子力機関)の安全基準で、それを受けて日本でもそれ以上の汚染は除染しようとなった。
しかしもともとIAEAは原発推進の機関でもあるとも言われ、年1ミリSV以下なら安全ということを言っているのではなくて、年1ミリSV以下に維持管理する目標を設定しているにすぎない。
放射線は低ければ低いほど良いとだけ言える。低線量被ばくでも確率が低くなるがガンになる人はなると、反原発の学者や評論家は警告している。チェルノブイリから20年後ロシア、ウクライナ、ベラルーシの健康被害者は政府側発表だけでも700万人を超えている(広瀬隆著書)。

●チェルノブイリと同じレベル7の災害事故である。福島では大分海に流れたので被害はチェルノブイリより少ないという見解と、今もこれからも放射能は大気に出続け海洋汚染はどんどん酷くなっていくという点で、チェルノブイリより深刻だとする見解がある。
もちろん疑わしきは対処して後者に備え対策を立てるべきである。食品や海洋汚染の検査は此方ではほとんどなされていないが、厳密に取り組むべきだろう。事故は終息してない上に事故の本当の被害はこれから始まるのだ。

●教育委員会で5台の計測器を購入しているのに2か所しか測定報告されていない。1/18日に0.33を計測した錦富小学校を追跡調査しないのは何故か。組織的怠慢としか思えない。
連休明けに錦冨小学校で先生や子供たちが校庭で草むしりをしている。経過観察し校庭使用は慎重に判断すべきだと思い学校側にTELしたところ、「高線量が測定されたなんて全く知りませんでした」とのことだった。教育委員会はなぜ連絡しなかったのか?
いずれにしろ常時検査し、除染の基準、校庭使用の自粛の目安など関係者は真剣に話し合っておくべきだろう。給食の検査などもきちんと行ってもらいたい。



金環日蝕。

晴れてたのに雲に覆われましたが、隙間から瞬間見ることができました。
300円の日蝕用メガネをレンズに当て、20倍ズーム三脚無しの手ぶれで撮りました。

7:41′


8:27′

# by turnipman | 2012-05-24 23:27 | 頑張らないけど諦めない | Trackback | Comments(2)

雨の熊野古道

5/14~16、兄妹縁者が集い紀南一周の旅行をする。

1日目曇り。朝勝浦で夜行バスを迎え、古座川の奇岩や重畳山、串本の橋杭岩、潮の岬、海中公園、大島などを巡る。
2日目雨。枯れ木灘を上富田に向かいもう一組と合流。中辺路の熊野古道を訪ねながら本宮大社、新宮速玉大社、再び勝浦着。
3日目晴れ。水害のあった那智谷を通り大門坂から那智大社へ。船に乗って紀ノ松島を巡り太地の鯨はま公園・・・等々。

3日目の大門坂はちょっときつかったか、遊覧船では寝てしまう人が多かった。 
いろいろ見て回り味しいものを食べ温泉につかり、楽しい3日間を無事に過ごすことができた。


今振り返ってみると、私的には2日目のあの雨の熊野古道が一番印象に残っている。

一寸マチュピチュのような趣のある“霧の里”、伏拝王子での幻想的な“蘇生の森”などである。
そうか熊野詣の意味はそこにあったのかと思った。高温多湿で昔から雨の多かったであろうその道程にこそ、自らを再生せしめる何かがあったのではないか。
熊野古道は他に類のない長い長い参道だと捉えるべきだろう。何日もかけて霧雨に煙る幻現の山中を彷徨い、やがて大斎原を見下ろす地点に着く。感激し伏して拝むところから伏拝王子と呼ばれた処だ。
そして神の門前にたどり着き祈りたたずみ、心地よく浄化されていく自分に気づいたことだろう。

登山に似ているところがある。かつて40代のころ都会脱出願望が強くなり月1~2回山登りをするようになった。なぜ山に行ったのか。「そこに山があるから」ではあるが、決して楽しいものではない。むしろ苦しい。苦しいけれど体の老廃物が汗と共に出て、清浄な気をいっぱい吸い込み身心満たされる。だから益もあるわけで、その頂上への達成感と共に、登りと下りのその道程に意義があったように思う。
熊野が修験道のメッカとなったのも肯ける。「懺悔懺悔、六魂清浄」と唱え峰伝いに奥駈けする。
便利さと効率を求める“現代”信仰にたいして、不便と不効率を求める信仰なのだ。


せっかくのツアーも2日目は生憎の雨と諦めていたが、そうではなかったのです。
お蔭で想定外の経験をすることができました。
みなさん、熊野古道に行くなら断然雨の日に行くべきです!
そしてできるだけ自分の足で歩きましょう。



霧の里・・・ 何処から湧いてくるのか、圧倒的な霧に包まれる。



# by turnipman | 2012-05-20 14:32 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

熊野三山

■(要約)
比叡山なら天台宗、高野山なら真言宗・・・となるが、「熊野とは何宗の聖地である」と簡単に言えない。
まずそこに住む人たちが聖地であることを知った。これが最初である。それから熊野の外の地の人たちが熊野が聖地であることを知った。

聖人が開いた聖地には、多かれ少なかれ、荘厳や神秘が絡まっている。神秘と閉鎖性に価値があるような印象が強い。だが熊野は開放的である。英雄や聖人が開いたものでなく、民衆が発見した聖地だから、あえて閉鎖的にしてみずからを権威づける必要がないからだ。

本宮では大斎原(おおゆのはら)が、那智では那智の滝がそれぞれの信仰の核となった。熊野川の河口を聖地とし信仰の対象になったのが新宮―速玉大社だろう。
修験道の道者や仏教関係者が熊野を重要視するにつれて、熊野三山それぞれのかたちが変化してきた。もともと開放的な聖地であっただけに、外界の宗教勢力のあ圧力を受けやすいところがある。

本宮大社は古くは「熊野座神社」といわれ、祭神の名も「熊野神」だった。熊野の神と大和朝廷の神は別々の神話を持っていたことが予想される。
それから数百年が経過したのち、熊野本宮の神に名前と性格とがあたえられた。
熊野夫須美神、御子速玉之神、家都御子神(主神)、天照大神(若宮)などであり、家都御子神(主神)はスサノオノミコトだと解釈された。

白河上皇が院政政治をはじめ、荘園の所有地図が激変し熊野三山も院政の保護下にはいった。熊野三山の場合は院政(上皇)と結びつくことで、伊勢の神宮(天皇)と肩を並べる聖地となった。
大和朝廷は何度か移動したが、いずれも北の方向から逸れることはなかった。

1090年白河上皇が熊野御幸をおこなったのが熊野ブームの始まりになった。(天皇の場合は行幸というが熊野行幸は一度もない)。
続く鳥羽、後白河、後鳥羽上皇と200年の間に熊野御幸は98回を数えた。

熊野詣が最も盛んだったのは12世紀だ。熊野古道は参詣者であふれ返り、蟻の行列に似ているので、「蟻の熊野詣」と言われるほどだった。
時は源氏と平家が覇権を得ようとしのぎを削っていた乱世のころ。武家社会への移行期に魂のやすらぎと救済をねがって東西南北から多数の人が熊野に押し寄せていった。
■(要約終り)


ここからかぶ男の推測。

もともと本宮は来てみると気持ちが安らぐホッとするような場所だった。いわゆる“ええとこ”だったのだろう。
やがて地元の氏神が大和朝廷の成立とともに」国家神道に統一され吸収されていった。大峯奥駈道など修験道のメッカともなり全国に噂が広まる。

神道・仏教ともに輪廻の思想がある。生あるものは死に、死は再生する。そのような思想は東洋的なのだろうか。キリスト教は輪廻を説いていない。
熊野は黄泉の入り口であり、再生する出口でもあった。長い古道を歩きぬいてその死と再生の門に辿りついたとき、人々は得も知れぬ精霊に包まれるのを感じ取ったのだろう。


会津の実家近くに国の重要文化財に指定され長床(ながとこ)と呼ばれている拝殿がある。学校の遠足などで行かされた。そこが慶徳町新宮にあり新宮熊野神社という名だったとは数年前に知った。「新宮」と称しているが、本宮・新宮・那智の熊野三山を祀っている。
会津に生まれ、紀南にたどり着いて終の棲み家をもったこと。上等なリンクだと思いたい。



最南端に陽が落ちる

# by turnipman | 2012-05-11 21:53 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

牟婁と熊野

本州最南端のこの地方は東牟婁郡とか西牟婁郡と呼ばれている。この“牟婁(ムロ)”の意味が解らないでいた。多分何かがたむろしてたんだろうぐらいに思って気にせずにいた。
“熊野”の意味も、こんな南方に動物の熊が野原にいるわけがない、熊は寒い地方にいるもんだと変に思いつつ、どうでもよいと放っておいた。

高野澄氏の著作本にその辺の解説があったので紹介する。
しかし古事記や日本書紀やら古文書といっても、今の大マスコミと同じで時の権力者の都合のいいように編纂されたであろうし、多分に憶測や希望的観測が混じっている。それでもその背景にある事情やものの見方は多少なり汲み取ることができるだろうから、鵜呑みにせず参考にしたら良いと思う。

■(要約)
孝徳天皇(596~654年)のころ、熊野は熊野国として紀伊国の外にあったのを、紀伊国の牟婁郡に編入されたとある。当時の役人の感覚では牟婁と熊野は同じ意であったらしい。

神が隠れ籠れるところを「神奈備のミムロ(御室)」と表記されることから、牟婁は室―ムロに由来しているようだ。
熊野は『紀伊続風土記』によると「熊は隈であり籠るという意味、この地は山川幽谷、樹木鬱蒼だから熊野と名づけた」と説明されている。
隈野と御室はどちらも「隠れ、籠もる」意味なのだ。

神が隠れ籠るところを「死者の霊の籠もるところ」ともしている。『日本書紀』などで死ぬことを「隠れる」と表し、『万葉集』ではこのような性格の場所を隠国(コモリク)と呼んでいる。

熊野の周辺、特に南側の太平洋沿岸の、キラキラ輝く開放的な光景が生のシンボルだとすれば熊野の森の黒色は死そのものだ。
神と死生に縁の深い熊野になぜわざわざ行くのか。
じつは、古代の日本人にとって死は忌まわしいものではなかった。「隠国」という言葉にいみじくも象徴されるように、死は一時的に隠れることであり、将来生に変貌することが約束されていると確信していた。

熊野詣は「疑似の死」と考えるのがいい。「隠国」であると万人が認める熊野に行く、つまり「疑似の死」を体験することで「よく死ぬ」経験を積んでおくということ。それが熊野信仰の柱になっていた。



隠国の森に満月が昇る

# by turnipman | 2012-05-10 04:23 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

紀南ミステリーツアー Ⅱ

この地方“紀の国”“木の国”とも呼ばれる。中上健次だったか“根の国”との解説があったが、古来から“黄泉の国”の入り口とみなされているようだ(*注)。
修業を積んだ坊さんが舟に乗って菩薩の国に旅立つ、補陀樂渡海(ふだらくとかい)とかもあって、どうも妖しいところなのだ。

高野山熊野三山に行くと“霊験あらたか”なるを感じることができる。心が洗浄されるような何かがある、とはこちらに来てから思ったこと。そういうのにあまり敏感でない私が感じるのだから、間違いなく何かあるのだろう。霊場とかパワースポットとか言われる所以だ。

ただ高野山というのは空海(弘法大師)が開いた所として解るのだが、熊野とは何ぞやというのがずっと疑問としてある。誰がいつ頃何のために開いたのか不明なのだ。
あんな山奥に、高速道路もなかった時代から細々とした山道を歩いて、この高温多湿の異国のような紀南を目指し全国から“蟻の熊野詣”と言われたほど人が集まるようになったのは何故?


熊野といえば熊野水軍。海賊業が繁盛して時の権力者と繋がっていたぐらいは想像がつく。日本を統一したとかの神武天皇を奈良の橿原まで案内した八咫烏(やたがらす)の伝承や、源平合戦で鶏を戦わせ(闘鶏神社)源氏側に味方することを決めた逸話などは有名である。弁慶は田辺市出身であった。

軍事的な要所としてではなく、地方豪族として優秀な水軍を保持していたということ。三重に行くと九鬼水軍の入江巣窟があり(ここすごい!)、紀北に行くと戦国時代鉄砲部隊で名をはせた雑賀衆がいたり(今でも雑賀衆は連絡を取り合っているぞ!)、つまり中央の政争のカギを握るキーパーソン的な地域であった。

そのことと熊野信仰とはどう結びつくのか。
本屋をのぞいてみたら、「熊野三山・七つの謎―日本人の死生観の源流を探る―」高野澄著、という思わせぶりなタイトルの本があった。
史実かどうかなんて確認できないし著者の憶測が多分に混じっていそうな感じのする本だが、七つの謎なんてあるので釣られて買ってしまった。大急ぎ連休中に読んで参考にしたいと思う。

そしていざ3日間の紀南ミステリーツアーにでかけよう。
ついでに放射線量測り隊として紀南地方をぐるっと計測しよう。
ウ~ム・・・なにか妖しい(怪しい)ツアーになりそうで・・・ワクワクする。



行者岩に後光が・・・  (4/6撮影)   左がトトロ岩、右が比丘尼岩、と勝手に名付けてます

(*注)ウィキペディアより抜粋

根の国のあった場所は言うまでもなく地下であるという主張もあるが、一方で古くから神話を現実的に解釈し、地上のどこかに当てる説[要出典][誰によって?]が行われた。その場合、イザナミやスサノオと縁の深い出雲国に入口があるとする説がある。特に、夜見(よみ)という地名のある鳥取県米子市と、黄泉平坂の比定地のある島根県松江市の間の島根県安来市には、古くからイザナミのものと伝えられる御神陵があることからこの出雲東部一帯が根の国とする説が安本美典著「邪馬台国と出雲神話」では述べられている。

また、大国主が根の国へ行く前に「木の国」へ行ったとの記述が神話にあることから、紀伊国、特にスサノオとの縁が深い熊野であるとする説[要出典][誰によって?]もある。『日本書紀』の一書にイザナミが熊野に葬られたとの記述もあるように、熊野もまた古来より他界信仰の霊地であった。ただし、出雲説を支持する立場からは、「根」からの連想で「木」を持ち出しただけであるとする反論[要出典][誰によって?]もある。

# by turnipman | 2012-05-05 08:22 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

紀南ミステリーツアー

 今日は一転青空が広がりさわやかな朝だ。鶯がさえずっています。
(例の“ホホ~テレビジョン”は縄張り争いに負けたのか“ミチャ~ ダメジャン”に変りました。本当です。TVはやっぱり見るなってことでしょう。)
 連休は草刈り、家の修繕、小さな畑作り。イノシシ対策して今年こそ畑作ろうと思う。
 ユンボも油圧の故障を直してもらって出番を待ってます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

連休が明けてから、集いあり紀南地方をツアーして見て回ることになった。
こちらに住んで12年になるが、毎日バタンキューで山の中で暮らしていたので、実のところこの辺りがいかなる処かあまり知らない。
いい機会なので事前におさらいしてみようと思う。

和歌山県は大雑把に紀北紀中紀南とに分けられる。
この紀南地方は田辺市辺りから新宮市にかけてを指すが、紀伊半島の東と西では気候が大分違う。東側は雨の量が断然多くなる。

紀南地方でも南端のこの地域は亜熱帯地方に属するらしく、めずらしい植物が生息しているので京大の植物園があったり、南方熊楠が粘菌の研究をしたりしているところだ。
雑草がそよとしていない。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、夏ノ暑サニモマケヌ、逞しくこれでもかと這い上がってくる。情緒がなくワイルドだぜ~だ。住みついたらまず草刈りで難儀する。

高温多湿、6月下旬~8月下旬は脳みそにカビが生え、(私の場合)仮死状態となる。冬眠ではなくいわゆる“夏眠”状態となるのだ。
その分冬場は温かく凌ぎ易いから、これも差し引きトントンということになるだろう。
ところがこの辺で育った人たちは夏場が好きという人が多い。その辺の話になると全く話がかみ合わない。

平地が少なくほとんど山がちである。山がそのまま海になだれ込んだような地形だ。したがって道は直線ではなく曲がりくねっている。車に酔う人は要注意です。

産業はといえば漁業林業関係ということになる。谷あいの隙間や段々畑で細々と農業もいとなわれている。ミカン、ユズ、梅などの果樹が植えられ、他の地方と開花時期がずれるので花栽培なども見られる。

で、それだけなら普通の田舎なのだが・・・、どうも妖しい(怪しい?)ところがある。



ユンボの油圧の修理 T2さん分解して直すの図。
自分で直してしまうからすごいです。 

# by turnipman | 2012-05-04 10:02 | 南島にて | Trackback | Comments(0)

“世情”

GWなんて死語なのかなあまり聞かない。
昨日はメーデー雨の中で仕事でした。
明日から休みになったけれどあいにく雨もようです。


今夜は中島みゆき“世情”が蘇えります。
(下手な解説は削除しました。)



http://www.youtube.com/watch?v=GI95g5SYgq8



世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする


変わらないものを 何かにたとえて
その度 崩れちゃ そいつのせいにする


※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく
  変わらない夢を、流れに求めて
  時の流れを止めて、変わらない夢を
  見たがる者たちと、戦うため


世の中はとても臆病な猫だから
他愛のない嘘をいつもついている。


包帯のような嘘を見破ることで
学者は世間を見たような気になる


※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく
  変わらない夢を、流れに求めて
  時の流れを止めて、変わらない夢を
  見たがる者たちと、戦うため



草刈り中 オオデマリの前で

# by turnipman | 2012-05-03 10:01 | short time | Trackback | Comments(0)

“さよなら原発への覚悟とは”

5月5日、北海道の泊原発が停止して全原発が停止状態になる歴史的な日だ。
それに合わせ、ツイッターその他で各地で集会が呼び掛けられています。
できるだけその輪を広げましょう。参加しましょう。

橋下某が原発を再稼働しない場合、「相当厳しいライフスタイルの変更をお願いする」「我慢できるか。無理だったら再稼働しかない」などと言っている。財界の脅し文句と瓜二つという点で分りやすい。つまらない男だ。

しかしテレビしか見ない洗脳された一部の府民は、状況不安から腕力のある者や金の匂いのある者、TVでもてはやされる者にすがりついて行こうとする。何を言っているかわからないけれど何かやってくれそうな気分になる。いわゆる理性を投げ捨て「自由からの逃走」をするわけだ。今さらながら戦後をきちんと総括できなかった国民のツケがどう回ってくるのか、関わり合いたくはないけど脇から注目していたいと思う。

倉本聰のそれとは違う視点での、脱原発に向かって生活縮小する覚悟を込めたコメントがありました。
私見では今現在節電などしなくてもやっていけるはずです。しかし財界やら、橋下、石原、野田やら日本をダメにする連中(と私は思っています)が、一部大企業の意向で損したくないあまり危機感を煽るようでしたら、いっそ理屈抜きで「節電するから原発やめてちょ!」とみんなで言った方が、脱原発するには手っ取り早いのかもしれませんね。



# by turnipman | 2012-04-30 20:34 | 2011.3.11 時代 | Trackback | Comments(2)

“懐かしい未来”

一昨日、例の脱原発講演会や集いを開催してきた人達に誘われ、その会合に参加してきました。
この地方を好い所にする活動を続けているようで、その名も「ええとこ会」だそうです。
そこでこの間の放射線測量の結果について話させてもらいました。反響は大きかったです。

その日は、小型水力発電機を使った省エネルギーで、地産地消や循環型生活のモデル地域を川の源流近くに作れないか等、活発な討論がなされました。
そのような地域インド領チベットに近いナダックの現状をえがいたDVD、「懐かしい未来 ~ナダックから学ぶ」の上映会をしようという話もありました。この地域で一つ一つ小さなナダックを作ろうということです。


私は水道がなく山水、風呂は薪、ガスもなくテレビもない、関電は来ているが太陽光発電も併用していることなどを話したら受けていました。とても話の通じる人達だなぁと嬉しく思いました。

エコロジストとかナチュラリストとかに私は反戦平和活動家と同じように賛同はするものの、それを社会の仕組みにしようとするとどうも懐疑的になります。それは無理なんじゃないか、そこまで人間は賢くなれないのじゃないかと・・・。

消去法で、金魚が即死する水道水よりは山水の方がいいだろう。ボイラーより薪の風呂は熱の質が違って気持がいい。テレビを見ると馬鹿になるので見ない方がよい。原発や化石燃料より太陽光発電の方が空気を汚さない・・・、となって結果として省エネ型スタイルになっただけのように思います。

東京や名古屋の都会は好きだし、PCがメモリー3GBから8GBになったらその速さを喜んだりしている。IHやボイラーも設置しています。だから「エコロジスト」かと聞かれたら「違う」と答えるしかない。

でも社会全体省エネルギー化を目指さざるを得ないのであれば(それも分らないことだが)、それはそれで居心地の良い環境を模索せねばなるまいとは思う。
それを“好いところ”として地域を再生し創っていこうという運動には連帯できます。

私の“好いところ”とは、どうやら高度経済成長前の民主教育が息づいていた1950年代(~60年代)頃の福島の記憶にあるようです。それが“懐かしい未来”として甦ってきます。



 連休前の薪割り

町の1月18日の測定値が異常に高かったのは何故かという疑問は依然残っています。

“ええとこ会”のある人の話では、1月2~3日頃に福島原発で何らかの事故があり、異常に放射能が放出されていてNET上で騒がれていたとのこと。それが原因ならつじつまが合います。
調べたら福島県の発表でも、その2日間で降ったセシウム量は合計で558Mbq/km2採取され(場所:福島県原子力センター福島支所)、11月の月間降下量より多かったそうです。
いずれにしろ事故は終息していないし警戒が必要ということです。

もう一つ、その放射線が福島から来たものかどうか、もともとチェルノブイリや世界中で行われていた核実験のせいかもしれない。土を調べないと分らないとの見解もありました。
セシューム134の半減期が2年、セシューム137の半減期が30年ということで、セシューム134が半減期を過ぎていれば福島事故以前からの汚染となるということです。

# by turnipman | 2012-04-26 17:05 | 南島にて | Trackback | Comments(2)

“放射線量測り隊”

12.4.1 晴れ 北西の風。
住民有志の“放射線量測り隊”が串本町周辺の放射線を測定しました。
PC壊れたため遅れましたが、その結果を報告します。 

測定機 RADEX RD1503 ⒶⒷ2台。
測定40秒を5回以上繰り返し平均値を出す。単位=μs/h。
町の調査で国の除染基準0.24μs/h以上だった場所を主に測定。

場所             測定器Ⓐ        測定器Ⓑ         町の測定値    
                玄関   運動場   玄関   運動場   玄関    運動場
潮岬小学校1m・・・・・・・0.18・・・・・0.16・・・・・0.15・・・・・0.18・・・・・0.28・・・・・0.25
        地表・・・・・・0.18・・・・・0.19・・・・・0.26・・・・・0.16・・・・・0.25・・・・・0.25
錦富小学校1m・・・・・・・0.15・・・・・0.22・・・・・0.15・・・・・0.17・・・・・0.33・・・・・0.15
        地表・・・・・・0.17・・・・・0.16・・・・・0.18・・・・・0.19・・・・・0.18・・・・・0.15
串本幼稚園1m・・・・・・・0.17・・・・・0.17・・・・・0.17・・・・・0.19・・・・・0.27・・・・・0.33
        地表・・・・・・0.19・・・・・0.23・・・・・0.15・・・・・0.16・・・・・0.30・・・・・0.25
串本保育園1m・・・・・・・0.15・・・・・・・・・・・・・・0.16
        地表・・・・・・0.17・・・・・・・・・・・・・・0.15
大島幼稚園1m・・・・・・・0.14・・・・・0.16・・・・・0.12・・・・・0.20
        地表・・・・・・0.20・・・・・0.22・・・・・0.21・・・・・0.20



●町の測定値0.33ほどの高い数値は見られなかったが、0.20前後の数値が計測されている。
 ポイントにより10センチ違っただけでも数値が変わることが分かった。

●簡易カウンター2台は自治体設置の機器より平均0.04μs/hぐらい高く表示される。
 それらを考慮し差し引いても、うっすらと放射線量は高くなっている。
 低線量汚染は関西にまで広がっていると思われる。

●町は10日間追跡調査したが問題なかったと言っているが、その数値を知りたい。
 教育委員会は簡易測定器を5台購入。教育施設の測定・監視をきめ細かく行っていくとのこと。
 今後も注視していくとのことなので、継続してこまめに計測してもらいたい。
 保育園関係は町の管轄外ということで測定されてないが、率先して計測すべきです。



スミレほどな・・・・


# by turnipman | 2012-04-22 10:05 | 頑張らないけど諦めない | Trackback | Comments(2)

“自然と安全を守る会”

昨年から島の人たちが声を上げ、イノシシの被害を考える集いあり、
この度正式に「鳥獣害から自然と安全を守る会」として発足しました。

区内の6割方の軒数のみなさんが短期間に入会したそうです。
会報も発行され盛り上がっています。
それだけ問題は切実で、意見交換し話し合え場が求められていたのでしょう。

なんだか活発で元気が出る会です。
私も会員でただズルズルと引っ張られるばかりですが、ひっついて行こうと思ってます。

言い出しっぺのおばさん達が時々やって来て、面白い話をしていきます。
その生活の知恵に感心させられること多々ありです。



山の中の“猫カフェ”  こちらの看板もリニューアル

# by turnipman | 2012-04-18 20:47 | 南島にて | Trackback | Comments(4)

花の宴、宵酔幻覚

パソコンが復旧しました。

4/1有志で各学校の放射能を測定して回りました。
(結果は後日)
桜満開、花見しながら測定ピクニックなんて、
昔なら想像できなかった風物詩です。

終わってから8名で山野草の天ぷらパーティでした。
アシタバ カラスノエンドウ タラの芽 タンポポ ツリガネ人参 ナンテンハギ ホタルブクロ ヨメナ ヨモギ ・・・
そこら中食べれて、そこら中美味しいのです。

ところがつい酔っぱらってしまって・・・
アハハ、パソコンにも焼酎かけてしまったらしく壊してしまいました。
「パソコン酔わしてどうするの」としらふの相方に言われ・・・。


やっとリニューアルしました。





ウグイスはテリトリーがあるのか一匹一匹場所によって鳴き方が違う。
今年のここのウグイスは「ホホ~ テレビジョン!」と鳴く。
谷渡りは「ミテミテミテミテ・・・」だ。

相方に「ホホ~ テレビジョン!」と聞こえないかと尋ねたら、
「確かに!」と納得している。
「テレビの無い家を洗脳するために開発されたんじゃないの」と冗談を言う。

確かに少しTVを見たくなる鳴き方である。



以上花の宴、宵酔幻覚でした。



おぼろ月に夕澄み桜

# by turnipman | 2012-04-17 06:14 | 南島にて | Trackback | Comments(2)

80年代~90年代

 ☆ 田舎暮らしの理由

 田舎暮らしを始めた経過を書いて来ましたが、ニーゴ物語にのめり込んだ感がします。
 あえて誤解の無いように説明しておきます。ニーゴが来たから田舎暮らしをせざるを得なったというのではありません。来る前から田舎へ引越そうとは決めていました。
 ただニーゴ騒動があって、100%迷いも無く田舎暮らしをしようと思うようになったということです。

 本当は私は北国志向だったのですが、なぜ南方になったかと言うと、、相方が雪国の寒さには耐えられないと思ったからです。熱さは水でも浴びれば我慢もできるが、寒いのは耐えられないだろうと思ったのです。

 ところが今は違います。逆です。寒いのは服を何枚でも着ればなんとかなるが、熱いのは裸になってもそれ以上脱ぐことはできない! 私の方が熱いのを我慢できないのが分かりました! (まあでも冬は快適だから、これも一長一短ということですか)。

 80年代~90年代への変わり目に、田舎に暮らしをしようとした理由は2つあります。

 ① 衣食住環境問題を変えたい(家庭)。
 ② 創造的な仕事をしたい(職場)。





 先月2/24しんぶん赤旗“潮流”の記事

 「バブル崩壊後に生まれた人たちは、きょうより明日が良くなるという思いを持てない状況だ。では、どういう夢があると言うのか。正社員になって結婚することが夢になりつつあるという・・・。」

 ふむふむ、赤旗ならもっともな言い分と思って読んでみたら、何と野田ソーリが“官邸かわら版”へ書きこんだコメントとのこと!
 何だ、少しは世の中分かっているではないかと一瞬思いきや、やはり「そうではなくて」と話を転じています。
 「そうではなくて、もっと大きな夢を描いて、日本の為に頑張ろう、世界の為にがんばろうという人たちが増える環境を作る・・・」。

 やっぱり史上最低、労働者派遣法は骨抜きにして元に戻すし、仕事と結婚という基本中の基本の問題を打っ棄り政事をする、何も分かっていないソーリでした。
 前段の“正社員になって結婚することが夢”、そんな当り前のことが当り前ではなくなったということ。それは野田ソーリ以前の80年代~90年代にかけて変わってきたように私には思われます。

 社会とは、労働による生産(職場)と労働力の再生産(家庭)、2つの生産活動によって維持される(で良かったかな?)。
 その2つの夢が壊れていった社会で、そんな小さな夢は捨てて国際競争力とかもっと大きな夢を持とうと言う、そのような政治を担がされ流されてきたところにこの国の不幸がある。

 あの頃それらの動きと一線を画して、田舎暮らしをしてこの2つの生産活動を見つめ直そうと思った。そういうことでした。





 話が飛ぶが、昨年は菅降ろしのためマスコミも反原発派もこぞって菅叩きをしました。
 菅首相は「いずれは脱原発宣言」し、浜岡原発を止めたのです。
 その時私は ―菅内閣 まだマシだったと 後で気付くや (原発)反対派― と予言しました。
 この原発推進派の野田ソーリを、今こぞって叩かないのは何故か、よ~く考えましょう。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/39a7a5310965e28f770ddcb2992ee783

# by turnipman | 2012-03-27 21:11 | 残土録 | Trackback | Comments(0)

会津と南紀の測定比較

 簡易ガイガーカウンター(RADEX RD1503)を会津に送り計測してもらいました。

            簡易線量計   設置線量計   差異 (単位=μs/h)
            (RD1503)
会津合同庁舎・・・・・・・0.15・・・・・・・・0.11・・・・・・・0.04
会津大学・・・・・・・・・・・0.27・・・・・・・・0.22・・・・・・・0.05
河東町役場・・・・・・・・・0.30・・・・・・・・0.25・・・・・・・0.05
駒形公民館・・・・・・・・・0.26・・・・・・・・0.24・・・・・・・0.02
塩川小学校・・・・・・・・・0.16・・・・・・・・0.17・・・・・・-0.01
塩川中学校・・・・・・・・・0.31・・・・・・・・0.23・・・・・・・0.08

平均差異                           0.04


●自前の簡易線量計(RADEX RD1503)は公共の線量計より、平均0.04μs/h高く表示されている。
 その誤差は過小であり、その点を考慮に入れれば測定結果は大よそ信頼できる。

●文科省の会津での数値発表0.11は、会津合同庁舎での測定結果であるが、比較的低い数値の場所である。
 そこと比べたら南紀の方が高いということになる。
 他に雨樋下で4.34計測されたところもあり、場所や風向きや建物状況で大分差があることが分かる。

●簡易線量計で南紀地方を計測したら 0.10~0.20の範囲で平均0・13~0.14ぐらいが多い。
 それだけ捉えれば若干南紀の方が低く見える。

●しかしこちらの教育委員会の指示で消防署の器機を使って各学校を測定した結果、
 潮岬小学校玄関で0.28 串本幼稚園運動場で0.33 高富小学校玄関で0.33 が表示されている。
 国の除染基準0.24をかなりオーバーしている。


 その点については、先週の町議会で和田町会議員が質問し、町は更に詳しく調べることになった。


 放射能汚染はマスコミが報じているよりもっと広範囲かもしれないということ。
 つまり率先して測定しない。問題化するまでは測定を避けている様な気がする。(問題化してからでは遅いのだが)。
 会津や北関東は敏感に騒いでいるが、東海、中部、関西も精査すれば会津や北関東と大差ない所が多くあるのではないだろうか。

 しかしそんな話しをしてたら、会津の人に「そんな事言ったって、浜通りや中通りとかもっと酷い線量の地域が、今も除染も何もせず放ったらかしのままなんだぞ」と言われ、ちょっとした絶望感に襲われる。
 もう大人は良いです。そこまで手が回らないでしょう。子供達の為に出来るところから除染しましょう。
 

梅林(3/5)

# by turnipman | 2012-03-25 12:35 | 頑張らないけど諦めない | Trackback | Comments(7)

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